早いもので、旧版を上梓して約十一年になる。
旧版の上梓当初、仏法には全く門外漢の友人知人に本書を贈ったところ、彼らは一様に難しくて理解できないという感想であった。
それは勿論予想出来たことではあったが、少々残念であった。勿論本書における私の表現が不十分だということも一因であることは言うまでもない。しかし考えてみれば、誰でも自己の満足追求の生活に慣れきっており、仏法の根本である自我の超越ないし自己満足追求の放棄などと言うことは、恐らく社会通念上考えもしないことであろう。
従って何か特別な契機でもない限り、従来の発想を転換し生活姿勢を転換する等ということは、全くコペルニクス的な転換を強いることになるということを改めて認識させられた。
特に現在の日本は、戦後猛スピードで経済中心に変化発展し続けてきたため、あらゆる分野においてそれまでのシステムが変化に追い付けず矛盾を露呈し、従来の価値観が殆ど通用しなくなり誰もが戸惑うばかりの状況にある。
このような経済的価値最優先の現代においては、凡そその価値観の対極にある仏法の発想に触れる機会など全く無いと言っても過言ではなく、そのことが真の仏法の理解を阻む主要な原因であろうと考えられる。しかも肝心のお寺自体も一般社会の例外ではなく、先ず寺院経営を優先させなければ寺院の存立が危うい時代になりつつあり、時代の流れに逆らうような仏法の普及に力を注ぐことなど凡そ出来ない世智辛い世の中になってきた。
しかもそのことは一般に本当の仏法を学ぶ機会が殆ど失われたことを意味するだけでなく、昔のように何となく仏法紛いの雰囲気さえも味わえなくなり、云わば人々のアタマに仏法に親しむための下地を作る機会さえ失われた状況にあるということである。加えて故酒井老師や故内山老師のような優れた禅僧が現在殆ど皆無だという悲しい現実がある。
だからこそ浅学非才の私のような者が、酒井老師の教えを少しでも正確に伝えたい思いで旧版の上梓に踏み切った次第であることは既にご高承の通りである。勿論仏法を本格的に学ぼうとする場合、仏教史を始め仏教教学などの基礎をある程度学んでおく必要がある。
今般改訂にあたり、相当仏教教学の知識がないと本書の完全な理解は困難であることを、著者自身改めて認識した。
しかしもはや不世出の故酒井老師が親切に提唱された本当の仏法(禅)を後世に正確に残すという使命のためには、またその使命のためにこそ今般改訂版の上梓を決意したのであるが、敢えて仏法(禅)の専門書としての性格が全面に出ることも止むを得ないと考える次第である。なお初版上梓以後、是非しなければならないと思っていたことが二つあったが、後述の通り目的は達成された。
即ち一つは、「関係資料」記載の酒井老師の各提唱テープのCDへの変換作業であった。
老師の貴重な提唱内容を半永久的に保存可能にするためであるが、殆ど毎日のように作業を続けて約3年ほどかかった。CD1組(関係資料参照)だけでなく3組作成し、一組は酒井老師所縁の慶福寺、他の一組は妙壽寺に寄贈し、私自身バックアップとして所有することにした。他は、『普勧坐禅儀』の解説書を著すことであった。
それは拙著『普勧坐禅儀』「まえがき」(2008年刊)にも記載した事であるが、一般に書店で『普勧坐禅儀』の解説書を見かけることがない。
ただかなり昔になるが内山興正老師と小倉玄照氏の著作に係る解説書が既刊書として存在した。
しかしこの二著については私自身不満があったため、おこがましくも浅学非才を省みず『解説普勧坐禅儀』を妙壽寺住職栖川隆道師のご厚意により簡易な冊子として刊行出来た。ところで初版本については著者自身不満の残るところではあったが、本気で改訂版を出すことは一昨年まで考えていなかった。
ところがこの十年ほどの間に、私のホームページを見て、妙壽寺へ『正伝の仏法』購入希望の申し込みが細々と続き、僅か発行部数千部の残が終に無くなる結果となった。
そこで改めて前述の使命感が蘇り、改訂版の上梓に踏み切った次第である。さて本書における改訂点について述べると、先ず表紙の副題を「道元禅」ではなく『正法眼蔵』に改め、『正法眼蔵』と只管打坐にした。
そして普通一般の人々の仏法理解のための予備的概説的な意味で、本書の冒頭に「はじめに」を掲載した。
これは以前妙壽寺においてIT関係企業の社員研修が開催され、その際講演用に配布した「大自然と坐禅」を一部修正し用いた。次に本章の主要な改定については、まず正法眼蔵の根本である現成公案の実践として、酒井老師が常々我々は「現実をそっくりそのまま素直に頂く」ことが全てだということを仰っており、そのことを私も仏法参究会でいつも伝えることにしているが、或る時参禅会員の方から具体的には如何すればよいのかとの質問を頂き、それに答えて「現実を素直に頂く」を参究会で説明したのであるが、その時の原稿に手を加え第1章第7項「現成公案」に追加した。
また第2章第4項「因果」についても、仏法参究会でレジュメ(まとめ)を使用して説明したが、それを若干修正して本書に掲載した。
更に本書の体裁として「序説」を本文に組み入れた。なおそれ以外については、初版は元々上梓を急いだことから殆ど書下ろしの状態で、細部の表現なども綿密にチェック出来ずに刊行したため、適当でない箇所や誤記等不注意なミスも多々あった。
そこで今回本書全般に亘り表現も含めて相当修正した。また付録(一)法句抄並びに(二)偈頌及び詩についても削除及び追加を施した。尤も初版上梓の時と同様、相変わらず著者一人での改訂であるため、恐らく諸処に単純ミスが発見される可能性があることは覚悟の上である。
本来本書のような専門書の場合、凡例などを設けて修辞上の統一なども図るべきであるが、著者のような高齢者の身では望むべくもなく、酒井老師の提唱に係る仏法の根本を何とか正確に伝え残すことさえ出来ればという願いだけで改訂に踏み切った。なお十年前に比しパソコンソフトも進化し外字ソフトも充実したため、著者自身独力で本書原稿を作成することが出来、出版社を頼むことなく印刷会社に印刷・製本の委託をするだけで済むまでに時代が進歩したことに感謝する次第である。
最後に、本書発刊に関しお世話頂いた妙壽寺住職栖川隆道師には改めて謝意を表する次第であり、記して感謝の言葉としたい。
著者 識