第T章 仏法の大意

12 悟

一般に禅、坐禅と言えば、普通の人は直ぐに「さとり」と結び付けて考える。実際に私が会社勤めをしながら坐禅に通っていることを知った人は、必ずと言ってよいほど、軽い気持ちで愛想に「さとったか」と訊いてくる。如何に一般的に坐禅がさとりのための手段であると誤解されているか嫌になるほどである。

既に「坐禅」の項で、坐禅がさとりの手段であると考えるような座禅(看話禅)は間違っている事、そして精神上の「迷い」や「さとり」は、同じく人間の自我活動の姿(脳の生理現象)であって、本来の生命活動の表情・景色に過ぎないものであることを述べた。

それでは「悟」と云うものは無いのか、もし有るとすれば、それは如何なるものか、既にこれまでにも簡単に触れて来たが、この項で改めて述べておきたい。





一 悟の意義


    」という言葉の用法に主として二通りある。
    通常一般的な用法は、人間の認識作用や特別な精神的・心理的な状態を指す。そして同じく精神的・心理的な状態である「」の対立概念として考えられている。

    ところが仏法における「悟」は、『正法眼蔵』「大悟」巻の「大悟」の通り、尽十方界真実(宇宙・大自然の在り方)を指す

    つまり人間の自我意識(脳の生理現象)である「迷い」や「さとり」等は、単に人間の生命活動(脳の働き)に於ける表情であり、その時の尽十方界(宇宙・大自然)ないし尽十方界真実人体の様相・景色であるに過ぎない。
    そのような生命の一時の表情・景色とは関わりの無い尽十方界(宇宙・大自然)のダイナミックな在り方、即ち所謂「三昧・解脱・脱落」といわれる事実を「悟」と言うのである。

    これまでにも既に挙げた川の例で言えば、川の流れ(生命活動)そのものを指すのであり、表面に浮かぶ様々なは川の流れ(生命活動)の一時的な表情であって、通常の所謂精神的な迷悟に相当するのである。
    従って本当の「悟」とは、「成仏」や「成道」(尽十方界真実)と同義である。
    因みに「成」は「完全」の意味であり、「仏」も「道」も尽十方界真実のことである。このことから、具体的な仏道修行の在り方は、所謂精神上の「さとり」を求めることではなく、尽十方界真実の実修実証、即ち生命本来の在り方を修行する無所得・無所悟の只管打坐の坐禅しかない。しかもそのような只管打坐の実態が正に「悟」に値するのであり、その故に「仏行」、「行仏」と言われ得るのである。




二 釈尊の悟道


    それでは、釈尊が菩提樹下で坐禅をしていて、暁の明星を見て悟られたという悟の性質は如何なるものなのか考えておく必要がある。

    まず「我と大地有情と同時成道、山川草木悉皆成仏」と言われた釈尊の悟りの言葉の意味は、人間は宇宙・大自然の生命即ち「尽十方界真実」によって生かされて生きている(尽十方界真実人体)、また山川草木をはじめ、ありとあらゆるものは勝手に存在しているのではなく、人間と同様に宇宙・大自然によって存在させられて存在している絶対的な事実(完全に真実している)だという事である。
    この事実を「本来成仏」とも言う。
    但しこのような絶対的真実は科学的証明には親しまない。
    このような釈尊の悟りの言葉は、釈尊が真実を求めて出家して以来、様々な苦行を経た後、その様な苦行が結局自分が勝手に描いた理想即ち自己満足の追求に過ぎず、却って本来最も大切な身体を徒に傷める愚行であることに気付いた。
    そこで改めて菩提樹下における「回光返照」(自己の本来の姿を知る)の坐禅を行じた結果、機が熟して、自我意識を超えた身体の本来の在り方即ち尽十方界真実(尽十方界真実人体)に目覚めたという事実を表現している。

    この場合の釈尊の悟りは正に「宇宙の真実を理解し認識する」という釈尊の精神の働きを指すものであるから、通常の用法における「さとり」であると言える。


    しかしこの悟りは単なる精神的なさとりではなく、釈尊の生涯の修行の在り方(「大事了畢リョウヒツ」)を決定するものであった。
    しかも真実に目覚める機縁になった菩提樹下の釈尊の坐禅そのものは、尽十方界真実の実修実証即ち「悟」であることは確かである。
    更に言えば、内山老師も述べられているとおり、一般に上記の菩提樹下の成道ばかり強調される嫌いがあるが、釈尊入滅最後の教誡に「比丘放逸をなすなかれ。我れ不放逸を以っての故に自ら正覚を致せり。云々」(『長阿含』「遊行経」)とあるように、釈尊は生涯「不放逸」即ち自己満足追求を放棄する修行(尽十方界真実の実践)を努められたのであり、その故に「正覚」即ち「悟」を行じ続けられたのだということがわかる。

    従って釈尊の「悟」は、初めて尽十方界真実に目覚めたという通常の認識的な意味のさとりであるだけでなく、成道以後入滅に至る迄、常に自己満足追求の放棄(尽十方界真実の実修実証)即ち坐禅(悟)を行じ続けられたのであるから、基本的に「真実実践の生涯」に亘る「」であったことは間違いなく、まさに真の「覚者」即ち「仏陀」であったと言える。


    なお仏教教理の発展により、歴史上の釈迦(原始仏教当時の聖人)は大乗仏教の釈迦牟尼仏(法身仏)へと変化する。即ち大乗仏教においては、釈迦牟尼仏は尽十方界真実(釈迦牟尼仏)を修行して釈迦牟尼仏になったとされる(「仏」の項参照)。




三 悟とは修行である(修証一如)


    ところで、通常人々は、特に何かの契機でもない限り、仏法に関心を持って仏法を学ぶ等という機会はない。従って尽十方界真実を明確に意識することもなく、単にそれまでに経験した有り合わせの思想や場当たり主義で生きているのが一般的であると思われる。

    偶々仏法を学ぶ機会を得た者が、尽十方界真実を理解し、本当に現成公案の信仰を承当し得た時はじめて、大自然に生かされて生きている絶対事実(尽十方界真実人体)にこころから感謝し、その報恩行として身体本来の在り方(自己満足追求の放棄)を努める「只管打坐」の絶対価値を信仰せざるにはいられなくなる。
    これが後述「発菩提心」である。
    そしてこの様な現成公案や尽十方界真実人体の「信仰」に生きることが所謂「大事了畢リョウヒツ」である。

    しかし大方の人達は、仮に仏法(尽十方界真実)を学ぶ機会があったとしても、必ずしも尽十方界真実人体の信仰(仏道修行)に進むとは限らない。寧ろ宇宙・大自然(尽十方界)レベルでは、「人は如何在らねばならぬということはない」或いは「本来成仏(大自然に生かされた生命)だから何をしても構わない(生命の保証は平等)」と考えて、却って自己満足の追求を続ける人の方が多いかもしれない。

    例えば、「人生は、出来るだけうまいものを食べて、素晴らしい異性と付き合って愉快に暮らす事が最上の生き方だ」と云う言葉をしばしば耳にする。確かに一生自分の思い通りに満足追求が出来れば、それはその人にとって確かに幸せかもしれないし、そのような人が居ても構わない。

    然し釈尊の出家が好例であるように、そう簡単に生老病死の四苦を免れる人はいない。前項「信」で述べたように、人間の有限性から宗教が生まれ、仏教が生まれたのである。それはともかく、尽十方界真実人体の信仰に生きる、即ち自我意識に振り回されず自己満足を求めない修行(「只管打坐」)に徹して生きる人は、矢張り「悟った人」であると言えよう。

    要するに、「仏」や「悟」と言うのは、何か固定的な人物像や観念を指すのではなく、具体的・現実的に尽十方界真実を実践(只管打坐)している人(行仏)やその行(仏行)のことである。
    より端的に言えば、「」とは、「修行(本来の生命活動・只管打坐)」であり、それが即ち「修証一如」である。

    また「悟った人」とは、狭義には「日常生活において現実具体的に坐禅を修行している人」であり、広義には「生活態度として、現実を選り好みせず素直にそのまま頂戴して、生涯坐禅修行を続ける人」のことである。

    尤も人は、悟ったからといって、悟る前に比べて尽十方界真実人体において別に何ら変わることはない。(「坐禅」の115頁『伝心法要』参照。)
    例えば「悟った」人であっても、その時々の身体(生命)の状態によって、何とも無く坐禅を行じる(「さとり」)時もあれば、何となく坐禅が辛い(「迷い」)時もあるだろう。

    然しその人はその時々の身体の状態に拘らず、「只管打坐」を行じる態度に一貫して変わりが無いだけである。
    また人間は生きている限り、生命活動の表情として好き嫌いの感情や喜怒哀楽を避けることが出来ない。
    ただ出来る限りその時々の表情に振り回されないように努力し生きるだけである。

    因みにこの辺の事情は、現成公案の信仰に生きた良寛さんの詩を読めば実に明瞭である。良寛さんは、人間生命の真実であるその時々の表情を素直に受け入れて、しかもそれに引き廻される事無く生きた禅者であったことが、彼の詩(付録(二)偈頌及び詩参照)から窺われる。
    同様に内山興正老師の法句詩(同偈頌及び詩参照)にも言える。




四 公案


    「悟」に関する『正法眼蔵三百則』上巻五十七の則は、少々長いので要約して紹介する。

    「非思量」という言葉を初めて使用した薬山の弟子に、雲巌曇晟ドンジョウ(782〜841年)と道吾宗(円)智(769〜835年)という兄弟弟子がいた。
    ある時二人は薬山を離れて南泉普願の処へ修行に出かけた

    南泉が道吾に 「名は什麼ぞ」と問う
    道吾云く 「宗智」(「宗智」とは根本智即ち悟を意味する。)
    南泉云く 「智不到処作麼宗」(智不到の処は作麼の宗なるぞ。)つまり「智不到」は「人間の能力を超えた処」を意味し、「作麼」は仏法の疑問詞で「無限」の意味。また「宗」は「宗旨」であるが、全体の意味は、人間の能力を超えた尽十方界は無限であって到底掴まえる事は出来ないことを表している。
    これに対し道吾云く 「切忌セッキすらくは道著することを。」つまり「切忌すらく」とは「こころから忌み嫌うこと」であり、「道著」は「ものを言う」(著は強めの語)ことで、結局「黙ってください」という事である。「道著」は人間の世界であり、「智不到(尽十方界)」は寂滅(寂静)即ち尽十方界の在り方である。従って解釈は不要(勝手に判断するな)、尽十方界真実を素直に頂けということである。
    そこで南泉云く 「灼然として道著すれば即ち頭角生ず。」つまり「猛烈にものを言えば角が立ち波風が起こる。」要するに「その通りだ。なかなか上手いことを云うぞ」と道吾を褒めた。

    三日後、道吾が雲巌と一緒に僧堂の後ろの針仕事場で繕いものをしていると、南泉がこれを通りながら見て、云く 「前日、智不到処、切忌道著、道著即頭角生。作麼生行履。」つまり先日お前は物を言うと事件が起こると言ったが、それでは「作麼生行履(修行者の生活姿勢)」即ち黙っておると言っても「具体的には如何するのか」と道吾に尋ねた。
    すると道吾は黙って席を立って僧堂(坐禅堂)へ入ってしまった
    つまり道吾は「作麼生行履」として実際に黙って坐禅しに行った。
    これを見て南泉は去った。
    暫くして道吾は戻ってきて元の針仕事を始めた。 

    ところがこれまでの二人(南泉・道吾)の様子を見ていた雲巌が、後輩の道吾に「何故南泉和尚に返事をしなかったのか」と尋ねた
    道吾は彼に「良い所に気がついたな」と言った。
    つまり返事しないことによって、大自然は人間と異なり主張等ないことを表現したのであるが、そのことに雲巌が気付いたと道吾は思ったからである。
    然し雲巌はこの機微が一向に分からなかった
    そこで南泉に確かめに行って、「さっきのことで、何故道吾は南泉和尚に返答しなかったのですか」と尋ねた
    すると南泉は「彼は異類中行をやってくれたのだ」と言った。
    雲巌云く 「如何是異類中行。」ここで「異類中行」とは、中道と同義で、「異」(違う)と「類」(同じ)は対立概念だが、異も類も全部一緒にして、異と類が問題にならない大自然の在り方及びその在り方の修行を言う。端的には坐禅のことである。従って「如何なる」は件の疑問詞(問所は答所の如し)で、正体がないことを表す。異類中行即ち坐禅は「正体が無い」ことを、雲巌自ら答えているのだが、本人は気づいていない。
    これに対して南泉云く 「道うことを見ずや、智不到処、切忌道著、道著即頭角生。直に須らく異類中行に向かうべし。」つまり「文句言わずに、さっさと異類中行(坐禅)をやれよ。」ということである。
    然し雲巌は「不会フエ」即ちそれが分からなかった。
    そこで道吾は先輩雲巌が南泉の処に来ても進歩せず限界があることを知って、雲巌と共に薬山に帰った

    薬山は二人が帰ってきたのを見て、雲巌に「お前は何処に行ってきたのか」と問うた
    雲巌云く 「南泉和尚の処へ参りました。」
    薬山云く「南泉は如何云うことを言われたか。」雲巌はこれまでの話をした。
    薬山云く 「お前はその話を如何いうふうに理解したか。」
    雲巌は全然分からなかったので答えられなかった。
    薬山は雲巌の力量では分からないだろうなと思って大笑した。

    再び雲巌云く「如何是異類中行。」
    薬山云く 「私は疲れた。別の時に来い。」
    雲巌云く 「私はこのことの為に態々帰ってきました。」
    薬山云く 「とにかく行け。」
    雲巌は仕方なく退出した。

    ところが道吾が、方丈の外でこの一部始終を立ち聞きしていて、雲巌が依然進歩がないのを知り歯がゆさに、思わず指を噛み血が出た
    そこで彼は態々雲巌の処へ来て「先輩、薬山和尚に何の話を問うたのですか。」と言った。>雲巌云く 「和尚は私に何も説いてくれなかった。」
    道吾も仕方なく頭を下げた。

    次に二人の兄弟弟子が薬山の処に坐っていた時、薬山云く 「智不到処、切忌道著、道著即頭角生。」
    道吾は「有難うございました」と礼を述べ出て行った
    雲巌が終に「道吾は何故和尚に返答しないのですか」と問うた
    薬山云く 「今日、私は背中が痛い。彼は分かっているから、彼に聞け。」
    そこで雲巌は「君は先程如何して和尚に返答しなかったのか」と問うた
    道吾云く 「私は今日頭痛がするので、和尚に聞いてください。」 

    後に、雲巌が臨終の時、道吾の処へ人を遣わし別れの言葉を告げた。
    道吾がそれを見て云く「雲巌はあの問題を解決せずにいてくれた。あの時彼に言わなくてよかった。矢張り彼は薬山の弟子だけのことはあった。」 

    話は以上の通りであるが、結局雲巌は分からず(不会)に一生を終えた。

    つまりこの公案は所謂「不会仏法」を示したのである。尽十方界真実は理解を必要としない。要するに雲巌は「会仏法」即ち真実を理解することには苦しんだが、「不会仏法」即ち真実をそっくりそのまま頂戴し、真実を実践していた点で、「薬山(行持綿密)の子(仏祖)」と言わしめる修行者だったのである。
    なお「智不到処、切忌道著、道著即頭角生。」ということは、尽十方界真実を頂かなければならないが、解釈の必要なし、勝手な判断は不要ということである。
    仏法の理解・頂き方に「会(理解)」と「不会(黙って全部頂戴する)」がある。「会」も「不会」も尽十方界真実人体の表情であるということにおいては同じである。




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