老師略歴
明治45年 名古屋市に生まれる。 昭和10年 駒沢大学仏教学科卒業。 同11年 京都紫竹林学堂に入り、京都大学文学部哲学科専科に三年間在学。 同14年春 大本山総持寺に安居、後堂であった沢木興道老師に遭う。 同年秋 大本山永平寺安居。 同16年 沢木老師の天暁禅苑に入り、以後沢木老師に師事。 昭和24年〜62年 駒沢大学に奉職。文学博士・名誉教授。 同32年 金沢市大乗寺に宗立僧堂が開かれ、沢木老師と共に雲水を指導。 同52年〜62年 大本山永平寺眼蔵会講師。 平成8年11月22日 遷化。84歳。
老師著書
『沢木興道聞き書き』 (講談社学術文庫) 『禅の生涯』 (誠信書房) 『安心して悩め・正法眼蔵現成公案提唱』 (大法輪閣) 『正法眼蔵・摩訶般若波羅蜜の巻提唱』 (大法輪閣) 『正法眼蔵・仏性の巻提唱』 (大法輪閣) 『光明蔵三昧講話』 (大法輪閣) 『日本の宗教三・曹洞宗』 (宝文館) 『講座仏教U禅の神髄』 (大蔵出版) 『沢木興道全集』の解説 (大法輪閣) 『正法眼蔵と坐禅』酒井得元老師著作集<一> (大法輪閣) 他。
酒井得元老師の言葉
酒井得元老師は、生前『正法眼蔵』や『永平広録』等を始めとする数多の禅籍について提唱(末尾「酒井得元老師関係資料」参照)されたが、その提唱の中で、仏法を参究する際、様々な事柄に亘って心得ておかなければならないことを親切に示された。残念ながら全部を記録する事は出来ないが、著者にとって特に重要だと思われた事項について書き留めたものを以下に紹介する。但し表現については、老師の言葉そっくりそのままでは無い事を予めお断りしておく。1)、仏法全般に関する事項
2)、仏道修行に関する事項
3)、仏法の言葉について
4)、『正法眼蔵』等禅籍・経典について
5)、曹洞宗関係
6)、その他
1)、仏法全般に関する事項
- 仏法は宇宙・大自然の絶対事実であって、思想(人間の頭脳が考えた産物)ではない。思想は人間の欲望から生まれる。どのように正しいと信ぜられ考えられた思考でも、それが考えられたものである以上、それらは考えられた「正」であり、絶対に正しいということはあり得ない。
人間がものを考えるその真相は、利己的・勝手主義である。仏道は人間が考えたものではなく、大自然の真の事実である。
- 大自然に主人公は無い。人間が生来的に主人公を想定するだけである。
- 生命活動は身体と外界とが一体でのことである。肉体としての身体(精神活動も含む)は生命の全てでは無く、生命活動の一要素(調度)である。
仏法は、能所即ち主観客観の対立の自我の世界に於ける「私が色を見る」というような活動が如何にして行われているかを考察している。
身体というものは、純粋に身体だけでは生きていけない。身体を囲んでいる環境と一体であって、何時でもこの身体と環境の全体が一体となって生きている。
(<参考> ヒトの脳と身体も地球という環境と活発に相互作用しながら進化を遂げてきたということである。)
例えば見るということは、その時の尽十方界の身体の在り方である。これが尽十方界の身心の立場であり、現成公案である。或いは「主客合一」とか「能所泯亡」ということである。
これに対して西洋哲学は、あくまで自我の世界の思索であるに過ぎない。
- 人間が言う完全・不完全は人間自身の要求を標準にして言われているに過ぎない。
人間は外界を見るのに、生理的に自分本位でしかものを見ることが出来ない。ありとあらゆるものは、人間の自我とは本質的に全く関わり無く、本来それぞれ完全無欠なものである。これを「光明蔵」と言う。
- 身体以上の大自然無し。目で見た大自然は眼識即ち感覚の範囲のものである。
- この世界の全てのものが、尽十方界真実であるから、只全部を頂けば良い。喜びも悲しみも素直に頂けば良い。直面している事態に対して自分で色々と疑心暗鬼しないことである。何時如何なる時でもどんなものであっても、それはそのままが真実であって、絶対事実で無い一時もあり得ることでは無い。
- 宇宙全体が真実だから、仏法には一つの「原理」、つまりこれ一つあれば全て解決というようなものはない。原理によって解決しようとするものが「思想」である。
- 意欲を発端として思考を始め、それから理想が生じて人間的生活努力が始り、かくて人間は思想を持つようになった。「思想」にはその本来の発生の経路からしても、必ず「偏向」がある。
- 「主張」するものがあれば、邪教である。
- 仏法には「物体」という概念は無い。仏法においては「物」は事件、物事という意味であって、「仏向上」即ちあらゆるものが生き続けているという考えに立つ。
- 悩みは自然の恵みであって、人生を退屈せず努力出来る一つの救いであり、感謝すべきである。
- 心配しなくとも生命にはリズムがあるから、どんなに喜んだり悲しんだりしても、必ず収まらずには収まらない。
- 仏法は所謂「考え方」を教えるものではない。
- 「天台本覚思想」も思想である限り誤りである。
2)、仏道修行に関する事項
- 仏道修行に於いては、「取捨」することが絶対にあってはならない。取捨することは人間の「生理的習性」であるが、習性の侭に行動する修行は、取捨の努力に終始するものとなる。これは人間の日常生活そのものであって、修行・修道ではない。取捨を放棄する努力が無ければ修行・修道にはならない。
取捨の放棄も、目の敵として放棄するものがあるならば、その放棄しょうと努力するそのことが取捨の努力になり、即ち自我の主体を育て上げてしまう。
大自然、即ち人間の意志・意欲以前の尽十方界には取捨選択は無く、「一切法」という事実だけである。
- 意志的意欲的な生活活動である「生活姿勢」(行住坐臥)と坐禅は異なる。
- 真理真実というものは、探究して到達するものではない。若し探究し得たものがあったとするならば、それは探究者の目標にしていたものをその時自分のものにしただけであり、それは真理真実ではない。
- 「禁欲」も我が侭である。生命維持に不可欠程度の少欲知足であるべきである。
- 仏法を学ぶには、「会」(理解)と「不会」(そのまま全部受取る)がある。
- 仏教者は、縁のあったものは全てそのまま頂かねばならない。
- 「煩悩」は受け取り方が悪いから煩悩になる。自分の思い通りに行かないから煩悩になるが、これは「自己の限界」を教えると同時に自分の本来の姿が解る。つまり悩ませて頂いているのであり、時節因縁即ち尽十方界真実人体のその時の活動、その時の真実の姿である。
- 「修行」に「法式」(事相)が無ければ修行とはならない。然し法式に拘泥し過ぎれば根幹を見失い、単に自己満足と納得を求めただけに過ぎなくなる。法式の完璧を求める過度の潔癖性は「有所得行」となる。有相行も無相行も結果のでる修行であるなら共に有所得行となる。
- 「古則・公案の工夫」とは、古人の先蹤即ち我々に遺された古仏の生き方、つまり物の見方・考え方・処し方等四六時中の全てに於いての在り方や、その人格を学ぶことによって生きた仏法をナマの侭学ぶことである。要するに尽十方界真実を学ぶことである。
- 宗門(曹洞宗)に於いては、「聞法第一」と言われているが、まさに法を明めてから本当の坐禅をしなければならない。趙州の言う「究理坐看」即ち「仏法の道理を究めて坐禅する」ということである。
- 「インド仏教」は「瞑想」中心の修行であったが、「中国禅」は尽十方界真実の修行であり、「尽十方界」、「恁麼」、「不染汚」の語を生んだ。
- 「求道」は、自己満足の追求であって、「愚道」である。
3)、仏法の言葉について
- 仏法の世界で使う言葉は、仏法の世界においてのみ通じる。言葉は使う処によって意味が違ってくる。
言語というものは、元来「共通の生活者」の間での事物を指示しあう為の記号であり、共通の生活を持たないものには、それを的確に通じさせることは出来ない。
第三者(学者)等が、そこで当面した言葉を言語学的に如何に分解し追究し解釈してみても、その言葉を発した人の気持ちに通じることはない。
- 「仏法の言葉」は「能所」があってはならない。見るものと見られるものの関係で、ものを判断してはならない。
- 「仏教の漢文」は、本来中国では返り点等無く、日本訓み(返り点)をしてはいけない。
4)、『正法眼蔵』等禅籍・経典について
- 『正法眼蔵』七十五巻本は、最初「現成公案」巻から始まって、最後「出家」巻で終わるが、全巻が基本的に「現成公案」で貫かれている。
- 「出家功徳」巻に始まる十二巻本は、高祖(道元禅師)の老婆心の表れであり、報恩行である「供養に徹せよ」との教えである。つまり利他行に徹する事である。
七十五巻本だけであれば教理に偏り傲慢に陥りやすいからである。特に十二巻本の「発菩提心」巻は重要である。
<参考>大久保道舟編『道元禅師全集』(筑摩書房刊)における解題より要約。
道元禅師は永平寺に住山の後、それまでに撰述した『正法眼蔵』に綿密な推敲を施し、一定の宗意に基づき編輯された七五巻の旧草を用意した上、更に二五巻の新草を加え、合せて百巻に達する体系を完結するべく第二次の撰述、編輯を開始した(「八大人覚」巻の懐奘の奥書が根拠)。
然し道元禅師は病気のため第二次編輯の第十二「正法眼蔵八大人覚」巻の撰述を最後として死歿した。
そこで当該全集は従来広く流布していた『七十五巻本正法眼蔵』が、道元禅師の親輯による旧草であり、1936年発見された『十二巻本正法眼蔵』は前者に次いで親輯された未完の新草と見做した。
- 『正法眼蔵』は、高祖が自己の信仰内容を詳細に明かしたものである。
- 『正法眼蔵』は、各巻が各々独立して完全に真実を説いている。又各巻の文章もその一文がどれも完全に真実を表現している。
- 『正法眼蔵』に、「出家」、「出家功徳」の巻があることから、愚蒙の族が「道元は「出家仏教」だから、在家者は救われない」等と批判するが、本来仏道は尽十方界真実の実践であって、「出家」とは自己満足追求の放棄が根本である。出家仏教とはこの意味での出家であって、所謂職業的坊さんだけが仏道修行者だということを意味しているのではない。あくまで道元禅師の言われるのは真の意味での出家である。
- 『正法眼蔵』の参究は『正法眼蔵抄』で行うべきである。
<参考>『正法眼蔵聴書抄』(『正法眼蔵抄』『御抄』)について
本書は道元禅師の法嗣永興寺詮慧の『正法眼蔵聞書』(1263年頃成立)を基にして、詮慧の弟子経豪(初め道元禅師に参じ、禅師の寂後、詮慧に就いて法を嗣ぐ)が、註釈したもの。
「抄」(註解)するに当たってその誤註でない証明として師詮慧の『聞書』の文を傍書併載しており、厳密には詮慧・経豪師弟の共著的性格をもつ。京都永興寺を中心としてまとめられた『正法眼蔵』七十五巻本最古の註解書。正確には『正法眼蔵聞書抄』と呼称すべきもの。
『正法眼蔵』解釈に当たっての道元禅師の基本的視点に最も親しいものである。
- 『教授戒文』(「戒」(総説)の「曹洞宗における戒の典拠」参照)が解らなければ本当に『正法眼蔵』は解らない。
- 『永平広録』は、禅宗の正式の説法で推敲されている。『正法眼蔵』を読む上で、『永平広録』を読むと、宗旨の端的がよく解る。『正法眼蔵』を読まないで『永平広録』だけを読むと、『正法眼蔵』の深い意味が解らない。必ず両方を読む必要がある。
また『永平広録』の重要性は、『正法眼蔵』以後における高祖の禅を学ぶ事ができることである。
- 『永平広録』の漢字は、漢和辞典では真の意味は通じない。俳句の解釈と共通した意味で、通釈書が作り難い。
- 『正法眼蔵』の根本は、『法華経』の「唯仏与仏乃能究尽」である。
- 『正法眼蔵』の説き方の特徴は、「〜は、〜である」と一応の目安は述べるが、必ずそこに腰を据えないように、それを揺さぶる言葉が続く。
「ああ、そうか」というように納得を固定させない。即ち固定は「邪見」になるからである。尽十方界は無量無辺で固定していないのであり、『法華経』「化城喩品」がそれを示している。
- 高祖は論理的・組織的なものを嫌われる。
例えば曹洞の「五位」、天台の「四教儀」等、或いは解釈書のようなもの等である。
高祖は一度「天台本覚門」を勉強されたが、それを超えている。
『正法眼蔵』の説き方として、一つの結論に達すると必ずひっくり返される。例えば「しかにはあらず、審細に参究すべし」、つまり論理の世界は「解る」ということが全てで、「解る」ということを超えることを知らない。
即ち「解る」とは、自我の世界のことでしかない。身体は本来理解を超越しており、能率等は関係が無い。
- 「身心脱落」の語は、高祖の若い時に使用されており、興聖寺時代以後「脱落」という語は使われ無くなる。身心脱落(私見「本来成仏」)と安心してはならない。
(なお私見では、道元禅師が如浄禅師の所へ行って「身心脱落し来る。」(自我意識の放棄が出来た)というと、如浄禅師が初めから「脱落身心」(尽十方界真実人体)ではないかと証明した。然し道元禅師は「這箇は暫時の伎倆、師猥りに印すること勿れ」と、一時的に自我意識を放棄できても尽十方界真実人体のその時の表情に過ぎないのではないかと、身体の生理現象である自我意識超越の困難さを述べる。然し如浄禅師は「猥りに印せず、脱落、脱落」と、生命と生命の表情の関係を当然前提にした上で、道元禅師を許したのである。)
- 高祖の坐禅における呼吸は「非長非短」、即ち身体そのものに任すことである。それに対して如浄禅師は未だ人為的(腹式呼吸)である。
- 高祖の語に「安身立命」はあっても「安心立命」はない。即ち精神主義ではないことを知るべきである。(注 ここの「心」はこころの意)
- 『正法眼蔵』の文章上、疑問形「〜か」は原則として「断定」の意味である。即ち「問所は答所なり」である。
- 『正法眼蔵』の「如何なるか」は普通の疑問詞ではなく、表現の正確を期す為の用法であり、例えば「如何なるかこれ生死」という言い方をする。要するに「これこそ真実である」というような決まったものは無いということである。
- 『正法眼蔵』の「如かしながら」は、「全て、一切」の意味である。
- 『正法眼蔵』の「〜とらいふ」等の「とら」は、「と」の意で、「ら」は縁字で意味が無い。
- 『正法眼蔵』の所謂現代語訳は意味がない。高祖の仏法表現は通常の表現方法とは基本的に異なるため、単なる国語事典的直訳では意味が通じない。仏法の根本を正師について学ばなければならない。
- 『宝鏡記』は、高祖の宗旨と異なる部分も相当有る。高祖は師の如浄禅師を超えており、『宝鏡記』の意味は記念碑的なものである。
即ち高祖は生前中に、この書について全然触れて居られない。高祖の直筆がないという事実から、この書は高祖の修行時代のものであり、高祖自身この書を世に出す意図がなかったものと推測される。従ってこの書を取りあげる必要はない。『永平広録』や『正法眼蔵』の参究で十分である。
- 『正法眼蔵』は高祖と二祖との共同作業であったと思われる。何故なら膨大な引用文等を正確に引いてあること等を見れば、当時の時代状況に於いて、二祖様(懐奘)のような補助者がいなければ殆ど困難であったろうと思われる。
- 真字『正法眼蔵三百則』は、古則を転釈する為の台本である。 『祖堂集』の内容が間接的に伝承されている『宗門統要集』を引用(305則の内129則)されている。
- 『六祖壇経』に、「見性」の語があることを以て、高祖はこれを「偽経」と断じておられる。
つまり仏法の真実は「見性(体験)」出来るものではないからである。
然し本経の「見性」の意味は、高祖の宋時代の意味とは異なり、「真実の実践」或は「現実は全て真実である」の意である。本経は禅の根本を知る上で重要である。
- 『碧巌録』、『従容録』は、非常に文学的で東洋的な抽象性を駆使している。高祖の『正法眼蔵』とは全く異質である。
これらの書は宗乗の拈弄はしていても、文学的、抽象的で、結局拈弄は拈弄以上のものでは無い。どこまでも具体的に人間存在の根底を掘り下げて自己を究明するといった性格のものではない。学人達を文学的抽象的世界に導入し、独特の雰囲気を醸して、所謂特殊な禅的ムードを堪能させるのに威力を発揮したが、然しそれがかえって禅を堕落させたとも言える。
- 『景徳伝燈録』等の燈史類は、中国禅宗成立の信仰の系譜である。
- 『小室六門』と言われる「心経頌」「破相論」「二種入(二入四行)」「安心法門」「悟性論」「血脈論」は達磨親撰と信ぜられていたが、敦煌出土文書により「二入四行」だけが達磨のものと判明している。然しそもそも達磨の存在自体が根本的に疑われている。
- 「唯識論」(阿頼耶識論理)は、意識現象である「有為法」を分析解明する事によって、「無為」への超越契機を明確にしたが、「因縁性」の徹底的解明分析を本務とした学問である。
- 「唯識論」は、所謂「心理学」等ではなく、「自我」を説明する学問である。
- 「大乗経」の完成が、仏教者による「自己の究明」の契機となり、「如来蔵」としての自己の発見や、本来「自性清浄心」の自覚に到達する。こうして「一切衆生悉有仏性」即ち「本来成仏」の信仰が確立した。
- 『法華経』が仏法の根本であり、『般若経』、『華厳経』、『大涅槃経』はそれを補完する教えである。
- 『涅槃経』の根本は、「少欲・知足」に尽きる。
- 仏教に於ける「〜論」(例『大智度論』)の「論」は「解説」の意味であり、議論することではない。
- 「教学」は、大乗仏教を学ぶ際、独善に陥らない用心の為に必要である。
5)、曹洞宗関係
- 「三物」(御大事、血脈、嗣書)は、特権意識のあらわれである。
- 「師家」等の階級があってはならない。臨済宗の真似である。
- 「独参」の語は仏法に関係は無い。白隠あたりが使用し始めたのではないか?
- 面山瑞方は、仏法をよく参究された人であったが、密教にかぶれ「法界定印」、「降魔坐」等の密教用語を使用したことは頂けない。
- 「印可」等釈尊の時代には無かったと思われる。
- 瑩山禅師『坐禅用心記』に「覚触」の語があるが、身体全体が真実であり、真実に触れる触れない(感覚)の問題ではない。
(私見では、内山老師が解釈されている通り(『生命の実物』柏樹社刊62〜74頁参照)、覚触を「正身端坐の姿勢を続ける努力」と解釈すべきではないかと思われる。)
- 瑩山禅師から「祈祷」が始った。
- 宗乗に「上求菩提・下化衆生」、「抜苦与楽」の語は無い。
- 大乗寺は、江戸時代黄檗宗の濃い影響を受けている。
- 『修証義』は、大内青巒居士が寺院経営を中心とした宗団存続の為、大衆即ち檀家との結びつきを緊密にする紐帯の役割として、阿弥陀仏の他力信仰を在家化導の根本原則として採り入れており、その中心を「受戒」としている。これにより、「授戒会」が在家教化教団の主軸となり、両本山(永平寺・総持寺)の貫首が全国で「戒師」を勤め(巡錫)、僧侶の在り方も「法要」中心となった。
6)、その他
- 「僧堂」と「禅堂」の相違は、「僧堂は聖僧を安ずる号にて、聖僧堂の略(面山)」とある通り、前者は、聖僧を中心にして、衆僧が起居を共にして修行する道場である。
即ち坐禅を中心とした生活全般が修道である。『永平広録』巻四に「当山始めて僧堂あり。是れ日本国始めてこれを聞き、始めてこれを見始めてこれに入り、始めてこれに坐す、学仏道の人の幸運なり」とある。
後者は、己自を究明するところに生まれたものであって、「全生活の道場」とは言われない。己自究明のためには、全てを犠牲にした、手段を選ばぬ猛進の宗旨「看話禅」が生んだものである。
- 人間のわがままが、「文化」を生んだ。
- 人間はまともであることを嫌い、異常を好む。
- 人間は造ったものから造られる。「神」は人間の造ったものであり、人間の願い・欲望である。