第T章 仏法の大意

8 仏道

「仏道」とは、「仏」が「道」である、即ち「仏」も「道」もどちらも「尽十方界(宇宙・大自然)の真実」であることを意味する。また「仏法」も「仏道」も基本的に同義であるが、「仏道」という場合は「真実の実践」の意味あいが濃い。




一 仏道の意義

 

    さて「仏道」とは、前述の「現成公案の信仰に基づき平常底の尽十方界真実(大自然の生命の在り方)を実践すること平常心是道)であるが、それは我々は平生生理的習性に因り自己満足追求(エゴイズム)に終始しているが、その日常の生活態度を転換すること、即ち自我活動中心の生活から生かされて生きている身体尽十方界真実人体本来の在り方(大自然の生命)へ還ることである。

    つまり日常自我意識に振り回されている身体を、自我意識に振り回されない大自然の生命そのものに還る努力をすることであり、それには「無所得・無所悟」の坐禅(生かされて生きている在り方)即ち「只管打坐を行ずる以外にない。


    道元禅師は『学道用心集』において「行者自身のため仏法を修すと念うべからず、……ただ仏法の為に仏法を修する乃ち是れ道なり。」と示されている。

    即ち我々は尽十方界(真実)に生かされて生きている。そしてこの「生かされて生きている(無所得・無所悟)という在り方」こそ本来のすがた(絶対事実)である故に、このような大自然の生命の在り方(尽十方界真実)に即した生き方を心がけなければならないこの信仰こそが「仏道」である。




二 仏道には宗派も無ければ論理形式も無い

 

    ところで、仏道は上記のとおり仏法と同義であるが、これまでも繰り返し述べてきたように、仏法は人間の意志意欲など自我意識を超えた宇宙・大自然の絶対事実であるから、仏道に人間の自己主張やエゴイズムの旗印のような「宗派」等は無いのが当たり前である。


    まず宗派の呼称について、道元禅師は『正法眼蔵』「仏道」巻で、仏祖正伝の大道を「禅宗」と称してはならないとされる。それは中国曹洞宗の開祖洞山大師(807〜869年)自身が「曹洞宗」と称すべしと指示されたことはなかったという事実を理由に、決して「曹洞宗」や「臨済宗」等と称してはならない。そのように宗派を標榜するのは、本当に仏法を学んだことの無い杜撰の輩のすることだと誡められている。

    因みに酒井老師によれば、曹洞宗と云うのは「五位宗」につけられた渾名だとされる。

    つまり、洞山大師『五位顕訣』と云う著作があり、大師の弟子の一人曹山本寂(840〜901年)がそれを受け継いで、「正中偏、偏中正、・・」等の「曹山逐位の頌」を著わした。これが非常に「説明的・論理的な形式」のものであったため当時流行した。ところが何時の頃からか語呂の関係もあって、世間の者がそのような「曹山の五位宗」を「曹洞宗」と呼ぶようになったということである。


    次に「仏法」や「尽十方界(真実)」の項で述べたように、仏法の真実は、我々の思考や感覚によって把握できるものではない

    即ち論理的・概念的な理解の対象にはならないものである。

    この辺の事情について、道元禅師は「仏法もし偏正(五位)の局量より相伝せば、いかでか今日にいたらん。」(『正法眼蔵』「春秋」巻)と仰って、上述の「五位説を斥けられている

    また前掲「仏道」巻は、以下のように述べている。


    「後来智聡といふ小児子ありて、祖師の一道両道をひろひあつめて、五家の宗派といひ、人天眼目となづく。人これをわきまえず、初心晩学のやから、まこととおもひて、衣領にかくしもてるもあり。人天眼目にあらず、人天の眼目をくらますなり。……(略)……智聡といふべからず、愚蒙といふべし。」


    つまり、宋の時代(1188年)に臨済の四料簡」、徳山の「三句」、曹洞(特に曹山)の「五位説」等を集めた『人天眼目』晦巌智聡著)という書物が出たが、道元禅師はこれを厳しく批判されている。

    その理由は、これら四料簡、三句、五位等は一つの説明形式ないし論理形式だからである。

    尽十方界(宇宙・大自然)の真実というものは、本来我々人間に納得や了解を与えるものではない概念・論理を超越したものである。

    ところが人間の理解というものは、言語様式に基づく言葉(記号)の上の分別・判断に過ぎない。頭で考えるということは、文字(記号)・論理によって思索することであり、文字・論理を離れて思索することはできない

    しかもそれは意識の世界であり、自我の世界の営みである。結局学問の世界の限界もそこにある。

    科学が如何に進歩しても、人間を究め尽くすことは出来ない。言葉を離れて科学はないからである。論理は生きている生身の身体の一部である脳の働きの所産に過ぎない。文字・論理というものは、人間の「分かりたい、理解したい」という自我の所産であるから、道元禅師はこれを斥けられたのである。

    因みにこれに関連して言えば、『金剛般若波羅蜜経(金剛経)』の「金剛三句」がある。

    即ち「仏説般若波羅蜜 即非般若波羅蜜 是名般若波羅蜜」(仏は般若波羅蜜を説く。即ち般若波羅蜜に非ず。是を般若波羅蜜と名づく)と説いている。

    これは言葉と実物が異なることを教えている。つまり後述「般若波羅蜜」は尽十方界真実(仏法)のことであるが、仏法は感覚・分別(自我)以前の絶対事実であるから、これこそ般若波羅蜜(尽十方界真実)であると決まったものはない。

    そのように決まっていないのが真の般若波羅蜜であるというのである。


    これと同様のことが道元禅師の『正法眼蔵』の説き方にも言える。

    つまり「〜は〜である」というように一つの結論が導き出されて安心すると、忽ち「しかにはあらず、審細に参究すべし」と必ずその結論を覆される。

    これは何故かと言えば、一般に論理の世界は「解る」ということがすべてであって、「解る」ということを超えることを知らない。

    即ちこれは自我の世界にしか生きていないからであり、自己満足の追求がすべての世界だからである。

    ところが身体(尽十方界真実人体)は脳の働きの所産である論理を超越している。

    自我(脳)だけが身体のすべてではないからである。

    尽十方界真実人体(身体の生命活動)においては、例えば「能率よく」仕事をする等という人間の欲望追求の論理(自我)に係る事柄などは人間の本質的な生命活動には何ら関係ないのである。

    要するに、仏法について、単に概念的な把握によって自ら納得したとしても、仏法を本当に学んだことにはならないのである。




三 仏道は身心の本来の在り方を学道(修行)することである

 

    さて、我々が日頃自分の所有物のように考えたり、自分の生活の道具のように考えているこの身体は、実は大自然そのもの即ち尽十方界真実人体である。

    この厳粛な事実を踏まえて、仏道は、自我意識発現以前の身体本来のすがた、本来の在り方に還る努力をすることである。

    このような仏道の在り方を、道元禅師は『正法眼蔵』「身心学道」巻で、「身心学道」という言葉で表現すると共に、坐禅の実態を具体的且つ明確に示されている。

    因みに「尽十方界真実人体」の項で説明した「尽十方界真実人体」という言葉は、この「身心学道」巻で用いられ、この巻のキイワードである事は勿論、『正法眼蔵』全巻を貫くキイワードとなっている。


    ところで、「身心学道」とは、「身心で学道する」即ち「身体を道具」に使って学道するということではなくて、「身心そのものが学道」であるということである。

    つまり身心学道とは、「身心本来の在り方」を「学道する」即ち実践(実修実証)・修行することである。勿論「身心」については、「心」の項で「身心一如」について述べたように、宇宙・大自然の生命活動を「心」というが、その心の活動のひとつの相・形態が人間の「身」(身体)である。

    即ち「心が身している」のである。また「修行」という言葉について、通常一般の用語法と仏法におけるそれとは違うことを弁えておくことが必要である。

    つまり「修行」とは、通常考えられているように、何か特別な目的を達するために特殊な行為に励むことを指すのではない。

    仏法においてはこの尽十方界(宇宙・大自然)のありとあらゆるものの在り方が全て修行なのである。

    例えば、我々を含むあらゆる生物の摂取・排泄等の生理活動も修行の姿であると言えるし、更に無生物である石は石を修行していると言えるのである。

    言わばこの世界の全ての物は修行(その存在を努力)しているのである。このような仏法の見方は、『梵網経略抄』(経豪著)の以下の文章等に表れている。


    此身心がやがて修行にてある也。此山河大地日月星辰をさして修行とは談也。ゆへに山河大地日月星辰と我と修行と只一物なる故に。」

    このことから分かるように、我々のこの身心(尽十方界真実人体)が修行の姿であり、身(身体)も心(宇宙・大自然)も全て修行即ち宇宙・大自然の生命活動の姿である。

    即ち身心は一時一刻も休まず修行即ち「学道」を続けている。身心(尽十方界真実人体)の実態が修行であり、修行の事実が身心(尽十方界真実人体)である。


    従って「身心学道」とは、現に身体自身が修行(生命活動)している中で、「本来修行である在り方」を修行(実修実証)することなのである。そしてそれはこれまで再三述べてきたように、究極的には只管打坐の坐禅しかあり得ないのである。




四 『正法眼蔵』等に仏道の具体例を見る


以下に、酒井老師の解説を基本に、『正法眼蔵』等に表れる具体的な仏道を見ていく。


◎「仏道もとより豊儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。」
(「現成公案」巻)

即ち、「豊儉」とは「多い少ない」、「跳出」とは「超越」の意味であり、全体の訳は、仏道(尽十方界)は本来多いとか少ないとかそんなことを超越している。

そしてそこに生滅や迷悟や生仏(衆生と仏)がある。

これは例えば、川は色々の表情(波)を呈しながら流れている。しかし本流(川の流れ自体)は変わりなく流れ続けている(跳出・解脱している)。

つまりどんな場合であっても仏道(川の流れ)であることにおいて変わりはない。仏道(川の流れ)の上で、色々の様相(波)がある。

生という姿、死という姿、迷や悟という姿等様々な景色がある。しかもそのような有様であるけれども、人間という者は、そういう仏道の事実の中で、現実に華が散ると、嗚呼惜しいと思い、草が生えると、刈らなければと思ったりする。

このように我々は仏道の中で現実の生活を送っているのである。

◎「仏道は不道を擬するに不得なり、不学を擬するに転遠なり。」(「身心学道」巻)

「不道」の「道」は、「言う」の意味であり、「不道を擬する」とは、「黙っていようと思っても」、「不得」即ち「出来ない」。

仏道は黙っていようと思ってもそんなことは出来ない。

また「不学」とは、「仏道を絶対に修行しない」と構えてみても、「転遠」即ち「うたた遠い」。

つまり『金剛経』に「一切法は仏法なり」という言葉があるように、全ての物が仏法・仏道であり例外がない。

上述の通り、すべてのものが修行しているのであるから、「仏道」と態々言わなくても、また仏道を修行しないと無理に構えてみても、我々が生きている事実が仏道(尽十方界真実)なのである。

◎「仏道をならふといふは、自己をならふなり。」(「現成公案」巻)

「ならふ」は、学ぶ、修行することであるが、ここに「自己」というのは、通常我々が考えている所謂「自分」というものと同じではない。

「自分」だと思っているものは自己意識の世界のことで、自我中心の我々の姿を指している。

仏道上の「自己」とはまさに尽十方界真実人体のことであり、自我意識発現以前の生命本来の在り方を言うのである。

従って「仏道を学ぶ」ということは、生命本来の身体の在り方を修行することなのである。

◎「自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。」(同巻)

「わするる」とは、「本当の在り方を自覚する」ことであり、「萬法」は「尽十方界(宇宙・大自然)の生命活動」である。

また「証せらるる」とは「大自然から保証(恵み)されている生命の在り方を実証(実践)する」こと、即ち「身体の生命活動そのものに任す」ことである。

従って自己の本当の在り方を修行するということは、自己の本当の在り方を自覚し、身体の生命活動そのものに任すことである。

因みに「」は、「実践」の意味もある。そして「実証(実践)」とは、まさに「坐禅」することである。それは「正身端坐」即ち手を組み脚を組み、一切自分勝手(自我活動)は致しませんという姿勢であり、仏(大自然の生命本来の在り方)に全てをお任せしますという姿である。

結局「自己をならふ」ことも、「自己をわするる」ということも只管打坐の坐禅をすることに尽きるのである。

なお、『正法眼蔵』の中に、しばしば「全自己の仏祖」という言葉が出てくるが、これは全て自己でないものはなく、誰でも尽十方界真実している。

即ち宇宙・大自然の生命を生きている事実を表現したである。

この事実を「天上天下唯我独尊」とも言う。

◎「萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」(同巻)

この文は、既に前項「現成公案」で紹介済みであるが、「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむる」とは、「自己」だの「他己」だのという自己意識が坐禅中に起こってきても、その念を追いかけなければ自然消滅してしまい、直に身体本来の生命活動に戻ってしまうということである。(前掲「脳はなぜ「心」を作ったのか」(前野隆司著 ちくま文庫 一六八頁参照)

◎「それ学仏道には見解すべからく正なるべし。見解もし邪なれば光陰虚しくわたる。」(『永平広録』巻七)

これは道元禅師の『永平広録』からの引用である。

「学仏道」とは、仏祖(禅の祖師達)の「行履アンリ」即ち「生活、言行等」をそっくり学び取る(学得)ことである。その際「見解」が「正」なるためには、一切自分自身の詮索を用いてはならない。仏祖の生活を如何に正確に学ぶかを努力することである。

そしてこの努力が出来れば、まさに後述「発菩提心」、即ち「菩提心(尽十方界真実)に目を開き自己の本来の姿に徹すること」であり、且つ自己満足追求(エゴイズム)の放棄を努力出来るようになる。

これが「平常心の学得」である。

以上の事から、学仏道においては、「参禅学道は正師を求むべき事」(『学道用心集』)とあるように、まず「正師」に付くことが第一であり、「正師を得ざれば学ばざるに如かず。それ正師とは、年老耆宿を問わず、ただ正法を明らめて正師の印証を得るなり。……」(同)である。

次に「正師」に参じて、その下で所謂「爐鞴ロハイに入る」こと、即ち従来の自分の生活全体を仏道中心の生活に転換させることが重要である。

久参入室」という言葉が有るように、師資(師匠・弟子)の間の人格的疎通が根本的に必要であり、それがあって初めて「証契即通」(仏法の真実に通じ合う)ということが可能になるのである。

因みに曹洞宗では「参師聞法」と「工夫坐禅」が言われるが、特に「聞法第一」と言われるように、「聞いて聞いて聞きまくれ」ということがあって、まず従来の自らの思業の習慣を転換させることが大切なのである。

◎「動静大衆に一如し死生叢林を離れず群れを抜けて益無し、衆に違するは未だ儀ならず。此は是れ仏祖の皮肉骨髄なり、亦乃ち自己の脱落身心なり。」
(『永平清規』「ベン道法」)

これは道元禅師の『永平清規シンギ』「ベン道法」からの引用である。「大衆」は修行僧達、「叢林」は修行道場のことである。「動静大衆に一如」するとは、修行道場においては、修行者は団体行動を守って自分勝手な行動をしないことである。

「群れを抜けて益無し」とは、仮に優れて良い行いであっても、他の修行者達と違った行動をとることは、その修行者の自己満足追求に外ならず、修行の主旨(自我の放棄)に悖るものであり、本来あるべき修行の姿ではないということである。

仏祖の皮肉骨髄」とは、正に上述のような修行の在り方は、尽十方界真実を実践してきた仏祖達の後述「不染汚フゼンナ」(自我意識発現以前)の修行の真髄であると共に、「自己の脱落身心」、即ち修行者自身の生命本来の在り方を実践する姿である。

以上のような永平門下の修道の根本は、「潜行密用」即ち「修行は只管目立たざらんと勤める」という言葉や、「威儀即仏法」即ち「威儀(起居振る舞い)が現成公案でなければならない」、或いは、「作法是宗旨」即ち「日常生活の一挙手一投足が仏の行いで無ければならない」というような言葉に表れている。




五 公案

 

    最後に、よく知られた二、三の公案を紹介する。


    1. 『正法眼蔵三百則』中巻六十九の則

      阿難尊者が、二祖摩訶迦葉尊者に「師兄スヒンは仏(釈尊)から金襴のお袈裟以外に、別に箇の什麼ナニを伝えられたのですか」と尋ねた。

      迦葉は近くへ阿難を召して「阿難」と言った。阿難は「はい」と応諾した。迦葉は「門前の刹竿を倒して来い」と言った。初めて阿難は大悟した。

      この則は、釈尊から迦葉が「金襴衣」(無上の価値のこと。実際は「糞掃衣フンゾウエ」)即ちお袈裟以外に何か特別なものを伝授されたのではないかと思って、阿難が尋ねたのである。

      迦葉は仏法を会得した人物であったからこそ、釈尊は彼を後継者として認めたのであり、その印として金蘭衣(糞掃衣)を伝授したのであるが、阿難はそのことが分からなかった。

      然し阿難も迦葉に師事しているうちに、迦葉の偉大さが分かってきていたのであろう。迦葉との問答の中ではっとそのことに気づいたのである。

      ところで「門前の刹竿」は、寺で説法が行われている時に立てるものであり、「それを倒す」ということは「説法を止める」即ち「説法するような特別なものはない」ということを表している。

      つまり迦葉は阿難に「仏法に特別なものはない」ということを伝授し了ったということである。

      なお仏法の常識として「什麼」という言葉は単なる疑問詞ではなく、仏法即ち尽十方界真実を表現していることは、「仏法」の項でも述べたとおりである。

      つまり阿難は自ら自覚しているか否かは別として、質問と同時にその質問に自ら答えているのである。即ち「什麼(尽十方界真実)を伝えた(覚サトった)」ということである。或いは誰でも(釈尊も迦葉もそして阿難も)尽十方界真実を生きているという事実を確認したことになる。


    2. 『正法眼蔵三百則』中巻五十五の則(桃花悟道)

      霊雲志勤レイウンシゴン禅師は、桃の華を見て悟道したが、その時の頌(付録(二)偈頌及び詩 参照)が「これまで長い間、方角違いの求道を続けてきたが、今桃の華を見て尽十方界真実に目覚めた。

      これからはもはや特別なものを求めるようなことはしない」というものであった。

      これを山霊裕イサンレイユウ(771〜853年)に示したところ、山は付け焼き刃でなく、因縁があって悟ったのだな。良く成長したな。その調子で修行せよと言った。

      ところが玄沙がこの話を聞いて、「結構なことは結構だが、敢えて言えば、老兄、猶未だ徹せざること在り」と云った。

      ところで、霊雲の悟道を「見色明心」と言う。

      即ち「見色」は尽十方界の様相、生命活動の表情であり、「明心」は尽十方界真実(平常底)を明らめることである。

      この則で重要なことは、玄沙が「猶未だ徹せざること在り」と言ったことである。

      これは仏道修行は尽十方界真実をさとったと思って、そこで止まってしまってはいけないという老婆親切の言葉であり、修行は「永久に徹してはいけない」のである。仏道修行は無量無辺である。


    3. 『正法眼蔵三百則』上巻十七の則(香厳撃竹の話)

      香厳智閑キョウゲンシカン禅師は山霊裕の会下にあって、非常に聡明で博学であった。ある時山が香厳に「日頃汝の言っていることは全部注解書等に書かれたことの受け売りに過ぎない。汝の本音を吐いてみよ」と言った。

      そこで香厳は一生懸命自分の言葉で述べようと努力してみたが、師匠に許してもらえなかった。

      そのため香厳は悲観落胆して、今生では禅を会得することは出来ないと諦めて、山に入って庵を結んで修行していた。

      或日彼が路を掃除していた時、礫が傍の竹にあたって音をたてた。その時彼は忽然と大悟した。

      そして次のような頌(付録(二)偈頌及び詩参照)を作った。

      即ち「竹を打つ音が学問知を忘れさせた。理想を求める修行は止めよう。

      日常生活に尽十方界真実を実践。がっかりしなくてもよい。どんな処も行き詰まりなく絶対的。感覚を超越した姿。達道者はみなそれを無上の悟りと言う。」山がこれを聞いて彼は真実を明らめたと言った。

      これも有名な話であり、香厳の悟道を「聞聲ショウ悟道」と言う。「聞聲」は尽十方界の様相、生命活動の表情であり、「悟道」は尽十方界真実(平常底)を明めることである。


    4. 南嶽懐譲(ナンガクエジョウ)馬祖道一(709〜788年)に対する以下の偈を紹介する。

      「勧君、莫帰郷、帰郷道不行。並舎老婆子、説汝旧時名。」

      この偈の通常の意味は、「馬祖よ。故郷へ帰るな。故郷では仏道は行じ難い。お前の昔を知っている婆さん等が昔通りにお前を扱うだろうから。」

      因みに馬祖は四川漢州の農具屋の生まれであり、「馬」氏は俗性である。これに対して、仏法の訓み方は「莫(絶対的、不染汚)な帰郷(修行)をせよ。帰郷は道(尽十方界真実)なり。

      道は不(絶対的、不染汚)行なり。老婆子(仏祖、尽十方界真実)が説汝旧時名(お前の本来の姿、尽十方界真実人体だ)。」ここで「莫」、「不」は、仏法の常識として、否定の意味ではなく、「大自然のすがた」「絶対的」「人間の意志意欲に関係ない(不染汚)」等という意味である。

      また「老婆子」や「老僧」、「老師」等は「仏祖」或いは「尽十方界真実」を意味する。「帰郷」は大自然に帰るということから、尽十方界真実の修行即ち坐禅を意味する。




<仏法の常識>

 

    1. (ア) 吾本来此土 (イ) 伝法救迷情 (ウ) 一華開五葉 (エ) 結果自然成。 これは菩提達磨の「伝法偈」である。

      この偈は中国禅宗の本格的歴史書である『宝林伝』に掲載され、中国禅宗の独立宣言として捉えられている。

      (ア)の句は、通常の意味は「吾(達磨)が本来此土(中国)へ来た」であるが、仏法から言えば「本来成仏」即ち尽十方界真実を生きているという意味であり、第一句を第二句以下で説明している。

      即ち(イ)の句は、通常は迷いの衆生を救うために仏法を伝えるとなるが、真の解釈は、「伝」とは「覚」のこと、「迷情」は「自我・欲望」のことで、「伝(覚)法(真実に覚める)が救迷情」と訓み、それは結局「尽十方界真実を修行する」という意味になる。

      (ウ)の句は、通常達磨の仏法が禅の五宗(曹洞宗、臨済宗、雲門宗、法眼宗、仰宗)に発展したということであるが、真の解釈では、尽十方界真実(「一」は「全」の意、「華」は「真実」の意)の無限の展開ということになる。

      (エ)の句は、通常第三句の禅の発展が自然に五宗に結実したとなるが、これも成仏の姿即ち全てが真実であるという意味になる。

    2. インド仏教と中国仏教における相違 「律」の教えでは、インドの僧は、絶対労働をしてはならない。田を耕しても、草を取ってもいけない。その代わり托鉢に行って物を貰って来て食べる。財産は持たない。ということになっている。

      ところがこれでは生活と遊離してしまうということから、中国禅宗では、生活全体を仏道として行ずることに道を発見した。

      即ち「百丈清規シンギ」で有名な百丈懐海(720〜814年)は「一日作さざれば一日食わず」と言って、日々の行に、どんなことをやっていても仏道である、どんなことをやっていても現成公案であるとして、これを実践した。

      つまり諸法実相だからこそこのような修行が可能となる。

    3. 随所に主となる」とは、現成公案から言えば、現実は常に真実であり、この現実をそのままいただくことである。内山興正老師は「出逢うところわがいのち」と表現されている。

    4. 有覚無覚」とは自然現象のことをいう。「菩提」も同じことである。「覚」とは、現実をまともに頂くことが出来ることであり、心理的なことを言うのではない。

    5. 六道」とは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」のことで、不満の種類である。大乗仏教に六道はない。この世は尽十方界真実だからである。

    6. 看経カンキン」とは、「古教照心」、即ち意味がわかるように経を読む事である。

    7. 格義仏教」とは、鳩摩羅什(350〜409年)が仏典を翻訳する際に、例えば中国に具体的な「空」の概念がなく、「空」を老荘思想の「無」の概念を借用して解釈したこと。

    8. 如実知自心」とは、無所得・無所悟に徹して尽十方界真実人体たる本来の自己を只管に実修実証(坐禅)することである。


 


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「正伝の仏法」・第1章 仏法の大意 ・9 禅

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