第T章 仏法の大意

9 禅

これまで仏法、仏道とは如何なるものかについて述べてきたが、では「禅」とは何か、仏法とどのような関係にあるのか。結論から言えば、禅も、仏法、仏道と異なるものではない。いずれも尽十方界(宇宙・大自然)の真実の事である。では何故仏教の歴史の中で、特に中国で「禅」と呼ばれるものが生まれ、所謂「禅宗」が発展したのかを見ておく必要がある。




一 中国禅宗成立の意義

    」は、インドの「禅那(ジャーナ)」(静慮)、即ち「身体と呼吸と精神の調整」に重点をおいた「禅定ゼンジョウ」に起源を持つもので、当初インドにおいては、所謂「習禅」と呼ばれる「瞑想技術」に重点を置いた超現実的な「神通」ないし神異的な信仰を中心とするものであった。

    ところが、インドから中国に瞑想技術としての「坐禅」が伝来し、相当の時間が経過するうちに、次第に中国の高度な文化や風土の影響を受けて、神異的な神通思想が克服されて、日常的現実的なものに昇華されていった。

    こうしたインド禅の中国的変容の最終的な完成は、隋の天台智チギ(538〜598年)による『摩訶止観』の体系であるとされる。


    然しそれはなお神異的な残滓を残しており、それを完全に払拭したのが菩提達磨に始まる「中国禅宗」であると言われる。

    尤も菩提達磨の実在性については疑義のあるところであるが、禅が要請する理想像であったことは疑いのないところである。


    さて中国禅宗は、梁の時代に西来した達磨初祖/とし、二祖慧可三祖僧サン四祖道信(580〜651年)、五祖弘忍(601〜674年)、六祖大鑑慧能の順に禅を伝えたとされるが、必ずしも史実であったとは言えない。

    実際に本格的な禅が芽生えたのは六祖の時代で、禅宗として確立するのは唐の中期頃だとされる。

    『楞伽師資記』(浄覚(683〜750?年))は初期禅宗について記す最初の記録である。

    禅や禅宗が生まれた理由は、概念だけの学問中心の仏教、特に天台教学等の学問仏教を乗り越えるところにあった。

    即ち禅宗は、経典の文字の解釈に終始することを離れて「不立文字」や「以心伝心」等に象徴される実践(坐禅修行)中心の活きた仏法を挙揚した。

    つまり仏教は余りにも学問的且つ煩瑣になって生命力を失ってしまっていた。

    そこで本当に血の通った仏法を求めた中国人のための言わば「中国的大乗仏教」として新しく蘇ったのが中国禅宗であると考えられている。

    このことは、インドにおいて、所謂「声聞・縁覚」等の自己満足(自己の悟り)を追求する「小乗仏教」から独立して、新しく利他行(無所得・無所悟)を標榜する「菩薩」の「大乗仏教」が生まれてきた現象と相似する。

    即ち小乗、特に「部派仏教」では「アビダルマ(阿毘達磨)」による学問理論の研究が流行したが、それらは実践に関係の無い議論が多く修行の面を疎かにした。

    大乗仏教の展開は、このような部派仏教の弊害を矯正しようとして始まったものであり、徒な理論よりも信仰や実践を重視するものであり、その理論自体も実践を裏付ける為の理論であった。

    例えば、歴史上の聖人である釈尊は、「法身仏」(尽十方界真実)にまで発展し、『法華経』の「唯有一乗法」(この世界のありとあらゆるものは尽十方界真実である)から「大乗」が導き出された。

    また「本来成仏」「悉有仏性」等も同様の事実を表現する言葉として生まれてきた。


    ところで禅宗成立の過程においては、依拠する経典も時代によって変化し、最後には所依の経典が不要になる時代が来る。

    例えば初期の達磨の法孫達は『楞伽経』によってその仏法を挙揚した。

    それは「楞伽宗」の成立とも深い関係をもつが、同時に当時江南に栄えた「三論宗」等の影響も受けた。

    その後用いられる経典が『楞伽経』から『金剛経』、或いは『涅槃経』等と次第に変化していき、それに伴って禅宗は深化発展していった。

    そして最終的には、唐の時代の禅者の言行を中心に伝えた「話頭」、「古則」等が重視されるようになった。

    こうして禅宗では古則・公案が言わば経典のような役割を果たすようになった。

    まさに「公案」は修行者が日常生活において親しく学ぶものであり、仏道を学ぶ上の素晴らしい手本であった。

    本来仏道の信仰というものは生活姿勢から生まれてくるものである。

    一般に人間のものの見方、考え方というものは、その人の現在の生活形態の反映ないし象徴であると言えるが、仏道修行者は師の生活態度を学ぶことにより修行の根本を学ぶことになり、公案を学ぶ重要な意味がここに生まれたのである。




二 禅の意義

    さて改めて「」とは何かと言えば、上述の禅宗成立の事情、即ち本当の活きた仏法を挙揚する運動から生まれたことから分かるように、「本当の仏法」のことに他ならない。

    禅は、これまで仏法、尽十方界真実乃至真実人体、平常心是道、現成公案、及び仏道等で述べてきたことが全てそのまま当て嵌まるのである。

    要するに禅とは、人間の自我意識を超えた尽十方界真実ないし尽十方界真実人体の在り方そのものを言うのであり、自我意識発現以前の生命本来の在り方の実践、即ち只管打坐の坐禅を実修実証することである。

    そしてこれが本当の意味の「禅定」であり、「能所生ぜざる、是れを禅定と名づく。禅定とは即ち是れ清浄心なり。」(『金剛経解義』六祖著)とある通りである。


    因みに原始経典における「禅定」は身体と呼吸と精神の調整に重点をおいていた。

    また教学における所謂「三学」(戒・定・慧)の「定」は生命本来のあり方、生命活動、身体全体を意味し、「慧」は身体の働き(用)のこと、「戒」は後述の通り尽十方界真実即ちエゴイズムの放棄のことを意味するが、禅では三学ということは言わない

    何故なら戒・定・慧は坐禅に全部具わっており、本来別なものではないからである。

    ところが上記『摩訶止観』においては、坐禅は単なる方便であり、人為的な呼吸法や特定の精神状態を人為的に作る自調の行(自己満足追求)を説いており、所詮精神分析・納得を主眼とする概念仏教(学問)の範疇を出ないのである。




三 禅者の修道

    次に、禅における修行についても、これまで述べてきた「平常心是道」「現成公案」や「仏道における修行と異なることはない

    また「禅者」と言っても、一般に仏道修行者のことであり、何か特殊な修行をするものではない。

    禅者の修道は「本来の自己を習う」ことであり、それは自我意識発現以前の大自然そのものである身体本来の生命の在り方(坐禅)を実修実証することである。

    ところで、禅の修行僧即ち「禅僧」はしばしば自ら「衲僧(衲子)」と称した。

    其の理由は前述の禅宗成立の経緯に起因するものであるが、衲僧(衲子)とは達磨門下の人達のことである。

    元々仏教は中国の文化事業(白馬寺建立)として当時の国家権力によって輸入された。

    従って当時中国の僧侶は官吏の扱いであり、官位相当の着衣の色が定められていた。

    因みにインド僧には「色衣」等はなく、仏衣としての後述「袈裟」は「壊色エジキが基本であった。

    ところが活きた仏法(禅)の修行を志す達磨門下の修行僧は、自ら禅僧としての在り方を意識して、凡そ物欲の対象にはならない「糞掃フンゾウの袈裟」即ち「衲衣」を着けて仏道に精進したことから、衲僧(衲子)と自称するようになったのである。


    さて上述のように禅の修行も同じ仏道修行に変わるところは無いが、以下にその修行について見てみよう。


    まず『正法眼蔵』「現成公案」巻にあるように、修行の根本は「本来の自己を習う」こと、即ち尽十方界真実である「自我意識発現以前」の生命本来の在り方を修行する、即ち「只管打坐」の坐禅を実践することである。

    そしてそれを修行するということは、まず「救い」や「安心」等を求める自己満足の追求を止めることに他ならない。

    特に自分で勝手に描いた理想の心境等に陶酔や停滞しないことである。

    即ち「理想」と言われるものは、人間社会で如何に崇高なものと言われるようなものであっても、所詮個人の自我(エゴイズム)が「でっち上げたもの」(自己満足)に過ぎず、尽十方界真実ではない。

    即ち「現成公案」の信仰に生きる修行者においては、現在の事実(現実)は動かし難い絶対的真実であり、この現実を素直にそのまま受け入れることが修行である。自分の夢(自我)に騙されない様に現実に順応して生きていくことが基本である。


    因みに道元禅師に「安心」と云う語はない。必ず「安身立命アンジンリュウミョウ」というように、「安身」となっている。

    「心」の項で述べたように、「心」は所謂「精神」を意味するのではなく尽十方界真実のことである。つまり心は身に具現している(身心一如)からである。

    例えば、禅において「身」が根本であることを物語る故事として、真冬、或祖師が衆寮に行ってみると、大衆(修行僧達)が火の気の無い処でガタガタ震えていた。其の師は「この処、安身立命の処にあらず。」と、大衆を火のある処へ移動させて提唱されたという話がある。

    道元禅師はその故事に共鳴されて、『永平広録』にそれを引用されている。

    つまり冬の寒い時には暖を取ることが現実に順応することであり、現実である其の時の尽十方界の様相をそっくりそのまま頂いて素直に対応すること、それが現成公案の信仰であることを示されている。

    要するに、禅者は「不自惜身命フジシャクシンミョウ」即ち「無所得・無所悟」の修行の構えが必要であり、目標や対象を置かない坐禅修行を生涯不断に続けていくことが基本である。

    これを「無学」の修行とも言うのである。このような修行を更に敷延すると、内山興正老師がよく言われたように、「出会うところ我が命」(触処生涯)として、如何なることであっても現実をそのまま受け入れ、生かされたままに生きることであり(「随処主作」)、結論的なものを求めない(納得不要)ことである。

    言わば「還源返本」をしないことである。還源返本とは事物の本源あるいは原理を求めようとすることで、その事物に対し自分の言葉(概念)を作って自ら納得してしまうことである。

    つまり一切の自分の思惑を放棄(絶学)し、生命本来の在り方(正法)を実践することである。

    そこには修道生活の成果として他に誇示したり主張したり或いは対決したりするようなものは有り得ない。

    まさに後述「行持道環」即ち無始無終の「無階級」の修道である。

    本来大自然には人間特有の意志・意欲的なものはないし、人間特有の概念である目的達成などということもない。

    このような大自然に生かされて生きている人間に、本来「私」というようなものは存在しない(前掲『脳はなぜ「心」を作ったのか』参照)。

    ただ身体の生理現象として自己意識があるだけである。

    「個」という概念は人間世界だけのものである。従って修道は只この大自然の本来の在り方に立ち戻ることだけであり、修行の成果というような人間的な有所得の概念が入り込む余地等有り得ないのである。


    ところで具体的に禅の修行者の在り方を見てみると、先人の言葉に、「早朝に喫粥し、午時には御飯を食べる。元気が良いときは歩くが疲れるときは眠る」或いは「床をのべて眠り、鼻孔からは絶えず呼気を吐き出し、眼晴はしっかり見開いてものをはっきり見る、それだけ。展鉢(食事)時は腹一杯に飯を食べて快便する。成仏なんかと面倒なことはすっかり忘れてしまう、ただ自分のなすべきことに忠実」と有るように、日常生活の基本の姿としての何の変哲もない在り方である。

    また禅者の道心は、世人の毀誉褒貶の埒外に平凡な生活をなしうることであり、衆生済度等の観念的な目的は何一つ持たず、健康に叢林(修行道場)で淡々と日を送ることである。

    そしてこれをなしうる人を「大力量」の人と言うのである。

    更に禅者の在り方を表現した言葉に次のようなものがある。例えば、雲門文偃エン(864〜949年)の「没量の大人、大死人の如し」は自我を超越した姿であり、「我に大力量あり、風吹けば即ち倒る」は現実を素直に受け取る姿である。

    また明の雲棲シュ(1535〜1615年)の「凡夫は人に勝を以て力とす、菩薩は人に譲を以て力とす。血気(興奮は禁忌)の力を小人となし、道徳(正法を得て保つ)の力を大人とす」というような言葉もある。

    なお修道において、『学道用心集』の「発心正からざれば万行空しく施す」(初発心のあり方に厳密性を要求)とあるように「択チャク法眼」」が重要である。

    「仏道」の項でも述べたように「正師を得ざれば学ばざるに如かず」とある通り、正師に随順すべきことが何にも増して重要であることは言うまでもない。




四 公案

    ここで幾つか有名な公案を紹介する。


    1. まず、『正法眼蔵三百則』下巻一の則で、所謂「皮肉骨髄」として知られる菩提達磨と四人の弟子との商量(問答)である。

      達磨が西天(インド)へ帰るに際して、四人の弟子達に各人の修行による所得(成果)を各々述べてみよと問うた

      まず門人の道副は「文字に執せず、文字を離れず、而も道用を為す」(仏法は言葉ではないが、そのことを言葉で徹底的に説明することも必要である)と言った。

      これに対して達磨は「汝吾が皮を得たり」と言った。

      次に尼総持は「慶喜(釈尊の弟子「阿難」)の阿シュク仏国(理想世界)を見るに一見して再び見ざるが如し」(阿難が釈尊に阿シュク仏国(理想世界)を見せてもらった故事を踏まえて、私は理想を追い求めない)と言った。

      これに対し達磨は「汝吾が肉を得たり」と言った。

      更に道育は「四大(肉体)本空、五陰(「色受想行識」即ち精神作用)有に非ず、而も吾が見處、一法の得可き無し」(肉体も本来一時的な存在であるし、精神作用も実在ではない、従って「これこそ絶対真実」というようなものはない)と言った。

      これには達磨は「汝吾が骨を得たり」と言った。

      最後に慧可前に進み出て達磨に礼拝して後、「位に依って立つ」(依位而立)即ち師に侍立した場合に弟子の居るべき定位置即ち師の斜め左後に立った

      そこで達磨は「汝吾が髄を得たり」と言った。そして慧可に伝法付衣(袈裟)した。


      以上、達磨は各門人の修行の成果を表す陳述に対し、達磨自身の皮肉骨髄、即ち道副は皮、尼総持は肉、道育は骨、慧可は髄、つまり各々仏法を受け継いだとして各人に印可を授与した。

      ここで特に注意すべきは、通常一般の解釈は、彼等弟子たちの間に優劣を認め、髄を得た慧可が最高であるから達磨の法を継いだとする。

      然し道元禅師は「皮肉骨髄」に「浅深」の格差はないとされる。即ち身体において皮肉骨髄は等しく必要なものであり、どれひとつ欠けても身体は成り立たない。

      これらに格差を認める考え方は、比較分別に終始する自我中心の人間世界の立場であって、尽十方界即ち仏法を学んだことのない者の考えであると言われる。


    2. 次に、南泉普願黄檗希運の公案

      南泉普願が黄檗希運に「何処へ行く」と聞くと、黄檗は「野菜の整理に行く」と答えた。そこで南泉は「何を使って整理するのか」と聞く。すると黄檗は包丁を立てて、これでという所作をした南泉は「対象(野菜)をどうすれば良いかだけに気を取られ、御自身(黄檗)の方は一体如何なのだ」と指摘した。


      この公案は、黄檗が整理の対象である野菜だけに気を取られ、自分がそれを整理するという自己の主体性(自己意識)を何の疑念も無く持っていた点、即ち自分の優位(自我)を無意識に押し出している迂闊・不遜さを南泉が突いたのである。

      これについて、道元禅師の著語ジャクゴは、「南泉の代わりに、儂なら黄檗が包丁を立てたとき、『家の台所にはそんな包丁など無いよ』と言ってやる」とある。

      つまり包丁を立てて得意気な黄檗に包丁を捨てさせて、黄檗の首根子を押さえて「如何だ」と言うのである。

      要するに、生理的習性である自我意識に依ってのみ行動している日常の我々は、常に対象の方にばかり向かい、自分の周囲に対してしているその主人面が、禅の修道においては鼻持ちなら無いということである。

      主体性(自我)の立場にあって、事物の世界を見下ろして人生を築いている人間の在り方が問題なのである。

      尤も人間の主体性というものは却って物から限定されて自覚する。しかし禅者は自己の主体性の意識(自己意識)により却って自己の無我性(尽十方界真実人体)を証するのである。


    3. 『正法眼蔵』「一顆明珠」巻における玄沙師備の公案

      玄沙雪峰義存に参じて昼夜に弁道していた。或る時、遍く諸方に参徹せんと行脚に出たところ、石に足指をぶつけて血が出た。玄沙はその痛さに耐えかねて、忽然として猛省して「是れ身は有に非ず、痛何れ自り来る」と言った。そして行脚を止めて雪峰の処へ帰った。

      雪峰は「如何して行脚を止めたのか」と問うと、玄沙は「達磨東土に来らず、二祖西天に往かず」と答えた。雪峰はこれを大いに誉めた


      この公案は、玄沙が、この身体は因縁所生の法(四大の因縁和合)で、今暫くの間の存在に過ぎず、自己意識は幻覚である筈だと論理だけで分かっていた。ところがこの現実の身体の痛みは理屈では如何することも出来ない。

      初めて現実の身体は一時的な姿であってもその時の絶対的な姿であるということが分かった。

      事実と論理とのギャップ、つまり痛みの「無念無我性」、即ち自我意識には支配されない身体の真実の在り方に思い至り、理論では理解していた尽十方界真実人体の「無主体性」即ち現実(一時的な姿)の絶対性を本当に悟った

      そして同時に本当の仏道修行の在り方を学んだ。

      つまり真実を学ぶ為にわざわざ真実を求める「行脚」を必要としなくなったのである。

      結局主体性(自己意識)というものは、昼間脳が覚醒している間の人間の在り方に過ぎず、尽十方界真実人体の本来の在り方そのものでは無いことを悟ったのである。

      従ってここの「達磨不来東土、二祖不往西天」は、端的に言えば、何処でも「仏国土(尽十方界)」であるということである。

      つまり達磨はインドから中国へ仏法の真実を伝える為にやって来たが、達磨が来ても来なくても、何処でも尽十方界であることに変わりなく、誰でも尽十方界真実を生きているという事実(「本来成仏」)は変わらない。

      また二祖即ち慧可は実際にインドへ往ったことはないが、態々インドまで仏法の真実を求めて往かなくても、何処にいても尽十方界であることに変わりが無いということである。

      因みに社会通念では、通常人間が主体性を持って理想を掲げそれを追求することは良いことだとする。また学校教育等もそのような教育方針が進められている。

      しかし「理想」は人間の自我(エゴイズム)がでっち上げた自己満足であり、この満足追求を止める努力が仏道ないし禅の修行の根本である。


    4. 最後に、『碧巌録』第一則、『従容録』第二則の公案

      この則は、非常に有名な則であり、『碧巌録』、『従容録』共に採り上げられている。

      つまり梁の普通元年、菩提達磨が中国の金陵へ来て武帝に会見したが、武帝は達磨の偉大さに気付かなかった。そこで達磨は嵩山少林寺へ行って面壁九年の坐禅をしたとされる故事である。

      なお達磨は、それ以前に中国に来た安世高仏図澄と違って、誰かに請待されて来たのではなかった。あくまで一介の遊化僧であり、国家権力の保護や利用とはっきり断絶していたことが重要である。


      以下は達磨と武帝の会見の模様を伝えた問答である。


      まず、武帝が「自分は即位以来、造寺写経度僧等仏教保護に力を尽くしてきたが、どんな功徳が有るか」と達磨に聞くと、達磨は「無功徳」と答えている。


      そこで武帝が「如何なるか是れ真の功徳」と聞くと、達磨は「浄智(尽十方界真実)円妙(完全無欠)にして、体自ら空寂(何ともなし)なり、是如く(無為)の功徳は、世(人間的意図)を以て求めず。」(『正法眼蔵』「行持」巻(下)真丹初祖


      続いて次の問答となる。


      武帝「如何なるか聖諦第一義」、達磨「廓然無聖」。「朕に対するものは誰そ」、「不識」

      聖諦第一義」とは、本当の意味は仏法即ち「尽十方界の真実」のことである。然しここでは、武帝が一般通常人の発想による形而上学的な宇宙の第一原理、即ちこれ一つで全てが説明・解決する「これこそは」というものは何かと達磨に尋ねたのである。

      ところが達磨は「廓然無聖」とそっけなく答えた。廓然無聖とは、「廓然」即ち「からっとした全く何の手当たりも感触もない」ということ、「無聖」はただ平凡な如何ということもない、神聖などというものも一切ない。却ってあらゆるものが真実であることを言ったのである。


      因みに中国禅宗の行者達の第一の課題は、常に禅宗の淵源である「祖師西来意」即ち達磨が中国へ来た意味、端的に言えば「仏法とは何か」である。

      達磨大師の「壁観」についての信仰確立は、「面壁坐禅」即ち無所得・無所悟の只管打坐の信仰の確立である。

      そしてこの面壁坐禅の実態即ち尽十方界の真実の実修実証が「廓然無聖」ということであり、それが「祖師西来意」即ち仏法である。しかもこの廓然無聖という宇宙全体から見れば、何ともない平常底の事実こそ却って最高の神聖な事実である。


      次に武帝は、噂に達磨が高僧だと聞いていたのであろうが、これまでの達磨との問答で武帝が期待したような答えが得られず、不安になってきた。一体この達磨という人物は如何いう人間なのかと本音が出て、「誰そ」と聞いたのである。

      ところが武帝本人は、この問こそ全く自己の本音であり、自ら当該質問に答えた真実語であったことに気付いていない。

      尤も「気付く」ということは自我意識の段階のことで尽十方界真実レベルのことではない。真実とは本人自身が生きている事実であり、気付くということは生きていて自我活動が始まってからの過程である。


      それはさておき、「仏法」の項で述べたように、「誰」という言葉は疑問詞であるが、仏法では正に達磨という人物(尽十方界真実人体)そのものを最も正確に表現した言葉(真実語)である。

      同時にこの場合武帝は自分自身の存在に対する自信の喪失を露にしている。自信の喪失は自我を超える契機であり、その戸惑いが「誰そ」という言葉になって表れ且つそれこそ武帝が感受した尽十方界の真実そのものなのである。


      ところが武帝の質問に対し、達磨は「不識」と答えた。

      既に述べたように、仏法ではこの「不」という言葉は殆どの場合否定の意味ではない。

      同様の言葉に「無」「非」「莫」がある。これらはすべて、「大自然の絶対性」「人為的でない」という意味である。また「」は「生命(生身の身体の事実)或いは真実の表情」即ち尽十方界真実人体のことである。


      従って「不識」とは達磨の当体を表しており、「情識」即ち「妄想分別」を超えた「尽十方界真実人体」であるとの意味である。(なお「不識とは不会は仏法なり(理解したものは真実ではない)というほどの意」(前掲『御抄』))




<仏法の常識>

     
    1. 圭峰宗密 (780〜841年)は、華厳の哲学及び荷沢神会(670〜762年:六祖の弟子で玄宗皇帝時代の732年正月「滑台の宗論」で「北宗禅」を退けた)の「南宗禅」とを兼ね備えた仏教哲学者で、『禅源諸詮集都序』を著す。

      その内容は次の通り。


      つまり「真性(真実のもの)」だけを捉えて「禅」とすることの誤りを指摘。即ち真実はこういうものという説明をもつものではないし、禅も説明されるような決め手をもつものではなく、無限定に活動している。

      此の様な真性と禅とは全く互いに述語とはならないので、禅を捉えて真性へもっていっても禅の真骨頂の把握にはならない。

      本来無限定である禅に述語するものがなく、理解することは不可能である。

      つまり真実は経験を超えている。ただ行ずることだけである。行ずる事が真実を具現することなので「真性を離れて別に体有るに非ず」と。


    2. 煩悩」とは、生活活動の断層即ち新しい事象が生じると、それに対して我々は生理的に受け入れの態勢が調えられていないため抵抗を感じ負担となる。

      抵抗は暫時連続して熱悩する。まさに煩悩現成であるが、抵抗が連続しなければ煩悩にはならない。

      この現象は非連続として常に我々には新しい経験であり、本来の生活活動であるという点では必然的である。

      つまり煩悩は正常なベースの生活活動を回復するための現象であり、やがては必ず自己のベースの撹乱も復旧し軌道に乗る。

      従って常に基本的な各々の正常なベースを保持している人体の必然的な生活活動そのものである。


    3. 不得不知」とは、「知らざる事を得ず(皆御存じのはず)」、即ち知ろうとしなくても解っていること。即ち尽十方界真実人体。


    4. 六道輪廻」とは、即ち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上、即ち人間の自我に基づく正気の失い方・のぼせの度合いを示している。


    5. 木魚・ケイ・引インキン(手キン)等は、江戸時代に伝わった黄檗宗が念仏併修のため使用していたものであるが、現在曹洞宗もその影響を受けて使用している。


    6. 三武一宗ソウの法難」:中国に於ける四王朝の四人の皇帝による廃仏、即ち北魏太武帝、北周武帝、唐武宗(以上三武)、後周世セイ宗 (一宗)。




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「正伝の仏法」・第1章 仏法の大意 ・10 坐禅

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