『正法眼蔵』等に見られる仏法要語の意味は、通常の仏教辞典等の解説では真の意味が通じ難いので、基本的には酒井老師の平易な言葉で記述した。
「ア」 「イ」 「ウ」 「エ」 「オ」
- 阿
- 絶対的なこと。総てのものの姿。
- 下語(アギョ)
- 仏法の真実に関する感想・本音。一転語。
- 悪
- 人の意欲行動。自我意識に因る満足追求行為。善=エゴの放棄。
- 阿僧祇劫(アソウギコウ)
- 無限の時間。無所得・無所悟の修行。那由他阿僧祇劫(ナユタアソウギコウ)。
- 阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)
無上正等正覚。尽十方界真実。本来の生命活動。解脱。身体の実態。
「阿耨」は無上、「三藐」は正等、「三菩提」は正覚の意。- 阿弥陀如来
- 尽十方無碍(ゲ)光如来。宇宙全体の真実。尽十方界真実。
- 洗う
- 本来成仏(清浄)だから染汚しないように自我の超越を努力。
- 阿羅漢
- 「応供(仏十号の一)」。無学。小乗の四果。全てが邪魔にならず対立する相手なし。解脱。
真実の表情として全て頂くこと。- 安居(アンゴ)
- インドは雨期の90日間(制中/4月15日〜7月15日)、禁足の修行。
中国では雪安居もある。修行のない処に仏道・信仰無し。仏祖の実態を指す。- 安楽の法門
- 尽十方界真実。大自然の在り方。本来の姿・在り方。
- 行季(履)(アンリ)
- 生活態度・姿勢。修行者の在り方。
- 為
- 動作。
- イイ
- 笑う様子。一息つく。
- 威儀(イイギ)
- 尽十方界真実人体の絶対的な生命の在り方・姿、その修行。
- 家
- 自我。自己満足追求。
- 威音王已前(イオンノウイゼン)
- 尽十方界真実。宇宙・大自然の在り方。父母未生以前。
- 如何
- 如何なるものも。全て。仏法の疑問詞は質問自体が答(真実)を示す。問所は答所の如し(門処の道得)。
- 已今當
- 過去・現在・未来。
- 委悉すや
- その辺が分かってもらえるか。
- 一
- 全体。全部。「一は無他の義」。順序の一ではない。
- 一顆明珠
- 尽十方界真実。手応え無し。完全無欠。無色透明。
- 一句一偈
- ありとあらゆるものが尽十方界真実であること。
- 一見明星
- 尽十方界真実の実践。只管打坐。成仏。釈尊悟道の故事。
- 一切衆生
- ありとあらゆるもの。我がまま。自我生活。人生。人間性。
- 一切法
- 一(全)心。「心」の姿。万法。ありとあらゆるもの。
- 一生不離叢林
- 生涯独善的な修行をしない努力。異類中行。出家。正法。
- 一条鉄
- 一本棒。
- 一心
- 心。尽十方界真実。宇宙・大自然の生滅活動。
- 一水四見
- 人間に於ける水が、餓鬼は濃血、魚は宮殿楼閣、天人は瑠璃と見える(『摂大乗論』)。自我によってものの見方が違うこと。
- 一体三宝
- 仏法僧の三宝は尽十方界真実を三方面から説くが本来一つ。
- 一チュウ
- 線香の燃焼時間(約40〜50分間)。
- 一転語
- 仏法の真実に関する感想・本音。真実語。
- 一頓(トン)
- 二十棒(20回叩く)。
- 一念万年
- 永遠の現在。生命活動の普遍性。
- 謂如食頃(ケイ)
- 暫く。その時だけ。
- 為法為身
- 無所得。只管打坐。
- 異類中行
- 知覚分別に振り回されない徹底利他行。現成公案の実践。異も同も(全て)そのまま素直に受け取る。只管打坐。異類=異同。
- 印
- 確認保証。表現。
- 因位
- 修行。
- 因果(大因果)
- 尽十方界真実。全てのものの在り方。仏向上事。因円果満。「深信因果」とは大自然に全部お任せすること。
- 因中
- 悟る以前。
- 因縁
- 尽十方界真実。自然現象。条件。話。
- 因円果満
- 仏。何時でも成仏(完全無欠)。尽十方界真実。因果。
- 恁麼(インモ)
- 尽十方界真実。本来の姿。此の様な。そのとおり。どんな。いずれ等(宋代の俗語)。名称以前、概念以前の生の真実。作麼生(ソモサン)。
「当今の諱(イミ)名を犯さず」と言う理由から代名詞使用。
- 有
- 事件。存在。森羅万象。全てが形を努力し生きている姿。悉有。時の姿。
- 有為法
- 自我に因る人間の生活現象。
- 有覚無覚
- 自然現象のこと。「菩提」も同じ。覚とは現実をまともに頂くことが出来ることであり、心理的なことを云うのではない。
- 有空
- 「有は空なり」。存在・事件は絶対的。真実。正法。
- 有時
- 「心」。宇宙の生命活動の一時の姿。その時の宇宙の様相。仏性。有は時。
- 優曇華(ウドンゲ)
- 稀有。当たり前すぎること。正法眼蔵涅槃妙心。坐禅。
いつも真実の中で生きているため真実に気が付かないこと。釈尊の出現。三千年に一度花が咲く。- 優婆塞・優婆夷(ウバソク・ウバイ)
- 男女の在家仏教信者。信士・信女。近事男・近事女。仏教教団構成員(四衆)。僧を信じそれを外護する役。
- 有無
- 人間の欲に起因する概念。自我生活・人生の調度概念。
- 運水搬柴(ウンスイハンサイ)
- (ホオ居士の語)日常生活。平常底。家常。
- 有漏智
- 意欲的なものの見方。反対に無漏智は自我でものを見ない。(不染汚)。
- 慧
- 身体の働き(用)。
- 会・不会
- 仏法が分かると云う場合、「会」(理解)と「不会」(頭で理解するしないに拘らず、素直にそのまま全部受け取る)が有る。
何れも尽十方界真実人体の表情であることにおいては同じである。- 依業
- 生まれつき。依報の宿業。
- 回光返照
- 自己の本来の姿を知る。尽十方界真実人体に還る。坐禅。
- 回互・不回互
- 回互(エゴ)は相手がある相互関係。独立してこれこそと云うもの無し。不回互は独立していること。
- 依正一如
- 現在の在り方、生き方。環境と一体である人間生命の姿。生きている事。「正法」は身体、「依法」は身体が置かれている環境。依法無しに正法単独では生きられない。
- 依法
- 時間的・空間的全体の環境。
- 円
- 完全無欠。
- 円覚
- 完全無欠の尽十方界真実。
- 縁起
- 尽十方界真実の様相。条件生起。
- 円月相
- 完全無欠。
- 黄巻朱軸
- 経文。
- 黄金の妙相
- 仏の姿。
- 王索仙陀婆(オウサクセンダバ)
- 解脱行。「仙陀婆」とはその時々に順応して現実をそっくりそのまま頂いて生きる、仏道修行のこと。
王様がその時々に欲しいものを「仙陀婆」と言う言葉で索めた故事に由来。- 応身
- 変化身(化身)。「自未得度先度他」の利益衆生、即ち無所得・無所悟の行仏(応身仏)で「釈迦牟尼仏」を云う。
つまり「報身」の行は「法身」(自我放棄)を行ずる事であり、報身を徹底すれば、それは法身即ち尽十方界真実の実践である。
尽十方界真実の行を徹底するということは、具体的に利他行即ち菩薩行を実践することであり、応身を行ずることになる。- 飲光(オンコウ)
- 摩訶迦葉尊者。
常用仏法要語(カ〜コ)