天狼時代−1
昭和30年 掌を遁げし綿虫の綿減りてをり 昭和31年 根来寺 花を歩く布靴濡らし黙る子と 中二階がわが子の部屋アンデルセン忌 蛾は死にをり機械の油翅に滲み 海動く湾の奥へと矢車へと 避暑知らぬ人等にさやぐ夜のポプラ 水に浮く蟻が出会ひて闘へり 地に堕ちし綿虫急に飛ばれずに 凍地へスパナ投げつけ傷の血甜む 昭和32年 紙障子ばかり石飛ぶ石工の店 冬晴に巖一つ積む無蓋貨車 スキー服の女性車内に人跨ぐ 壕に雪蹴りこみ八雲旧居去る 老婆死なず壁に干柿あるかぎり 掌のひらを潜らむとする蟻地獄 炊爨の木よりぞくぞく蟻逃げだす 復活す踏みにじられし蟻の道 ころげゐる梅雨茸さらに蹴ころがす 萬緑に若桃袋被せられて 水栓の濡れに日浴びに蟹が出て 飛ぶことを忘れし蛍籠出て這ふ 台風が来る襁褓のみ干されあり 板敷へ上がらず浸水土間の犬 アドバルン懸りて時間給水都市 濃き日焼粧はず屋上園勤め 秋晴に艀のこども独りあそぶ 鳩くくみ鳴きだす猟師頭上の樹 手のペンキなすりつけられ龍の髯 昭和33年 空わたりゆく寒鴉かえすあり 緑風雨紙にすぎざる桃の袋 魚市の焚火氷塊投げこまれ タクシーの疾走雷雨のいま稼ぐ 踊りの燈宙に暗くて地を照らす 紀の川六十谷 女児なれど急流に連れてきて泳ぐ ありったけ宵待草は乞食のもの 台風に発たざる汽車も前燈点け 近江八幡茸狩 手洗ふに惜し茸山のバケツの水 親芭蕉おんぼろ子芭蕉まだ破( れず 発情の鹿泥濘にうづくまる 咳く背へ夜廻りが灯をさし向ける 走りきて少年焚火跳び越せり 昭和34年 京阪病院 狂女等の編むはいづれも古毛糸 昭和35年 冬空の青より青く汽笛( の道 メロン出す一顆一顆にはたきかけ 梅田機関区 深夜勤芯がたがたの扇風機 雲の峰聳ゆるものは声を絶つ 鰯雲工煙昇れざる高さ