お釈迦様が亡くなられた年代は、学説によれば紀元前三八三年若しくは同四八四年だとされているが、仏教の歴史は、インド、中国、そして日本の現代に至るまで約二千五百年を経過し、仏教史の内容は膨大である。現代の仏教学者や仏教各宗派の僧侶の著作に限ってもその数は相当数に上り、大型書店の店頭にも数多の仏教書が並んでいる。
しかしながら、敢えて言わせてもらえば、本当の仏法(正伝の仏法)を正確に説いているものは皆無に近いのではないかと言っても過言ではない。何故そのようなことが言えるのかと言えば、上記の仏教書を一瞥しても、まともに仏法の重要なキーワードである心シン、三昧、解脱、悟等という言葉の意味を正確に解説している仏教書を殆ど見かけたことがないからである。
つまり大抵の仏教者は、これらの語を人間の精神・心理状態を表現したものと捉えているからである。正伝の仏法(正伝は生命の本来の在り方を勤めることで、それが仏法)から言えば、これらの語はこの宇宙・大自然の活動の様相・在り方を表現するものであって、決して人間の所謂こころ(精神)の在り方・状態を表現するものではないからである。
では本当の仏法を学ぶには如何すればよいのか。道元禅師の『学道用心集』には「正師を得ざれば学ばざるに如かず」と有る通り、本当の仏法を学ぶには正師に付いて学ぶしか方法はなく、しかも残念ながら、現代においてその正師は稀有であるという現実がある。私の知る限り、正師と呼ぶに値する方は、澤木興道老師及びその高弟の酒井得元老師、内山興正老師だけであり、悲しいことにこれらの方々は既に故人だということである。
従って本当の仏法を学ぶには、これらの方々の著作、特に禅籍の提唱録等を丹念に読むしかないと言わざるを得ない。ただ我田引水で恐縮であるが、拙著『正伝の仏法』は、そのタイトルの断り書きの通り、酒井得元老師の提唱に係る『正法眼蔵』や『永平広録』等の聴き書により、仏法の重要なキーワードの意味を、私自身の理解のために纏めたものを基本にしているので、酒井得元老師の仏法の教えを学ぶ一助になり得るのではないかと自負している次第である。