『正法眼蔵』等に見られる仏法要語の意味は、通常の仏教辞典等の解説では真の意味が通じ難いので、基本的には酒井老師の平易な言葉で記述した。
「サ」 「シ」−1 「シ」−2 「ス」 「セ」 「ソ」
- 修行
- 全てのものの在り方、生命活動(特別の行為ではない)。人間の生命活動。
- 寿行
- 生きて働いていること。
- 粥足飯足
- 修行が支障を来たさないで完全に行われる。
- 粥飯頭
- 住持職。
- 粥飯の熱気
- エネルギー。ノボセ。自我の暴走。
- 趣向
- ああしよう、こうしようと思い巡らす事。
- 受持
- 受は聞いて(聞法)実践し、持は失せず怠らず(『大智度論』釈)。
- 柱杖(シュジョウ)
- 修行者の日常必需品。
- 衆生心
- 日常生活の種々な活動。思考し判断し感覚する等の自己意識のこと。
全て生理的習性による尽十方界真実の必然的な表情。- 出家
- 自己満足追求の放棄。無所得・無所悟の修行。尽十方界真実実践。
- 十聖三賢
- 十聖は大衆一般(華厳説)の十地の菩薩の修行階位、三賢は十住・十行・十回向で十地の菩薩の前の階位。
- 出身
- 解脱。絶対的(真実)。
- 出塵
- 出家。
- 出世
- 仏道。自我生活を超越。本来の姿。
- 樹倒藤枯
- 悟ったと思う事は真の悟りではない。
- 春秋
- 寒暑(尽十方界の様相)を解脱した生き方。現実をまともに頂く。
- 諸悪莫作
- 成仏。人間の意欲的行動を本来の在り方に戻す。諸悪は莫作なり。
- 正
- 尽十方界真実。無為。尽十方界真実人体。「正とは無(相)なり」(『三論玄義』)。一(全体)をもって止まる義。これこそ正と決まったもの無し。
* 偏とは個別的なもののことであり、それが同時に正即ち真実。また「正」・「邪」の区別とは、尽十方界真実に即しているか、自我に関わっているかの違いによる。「邪」は自我意識、独断、エゴイズム、分別が関係しているもの。- 証
- 大自然の保証(恵み)。真実実践。
- 性
- 心の在り方。見えないもの。 *見えるもの:相。本質。生まれつき。
- 成
- 完全。
- 常
- 前後際断。新しく新しく活動し続けている。
- 定
- 本来の在り方。生命活動。
- 常安住
- 形を維持している。
- 正位
- 一切衆生。特定のものは無し。
- 正依報
- 依正一如。人間存在。
正=尽十方界真実人体、時間的には過去の業によって現れる果(正報)。
依=尽十方界、環境(依報)。- 常運歩
- 始終活動している。
- 証契
- 本来の在り方に落ち着く事(信)。師弟が真実実践において一致。
- 渉境心
- 想像力。
- 性空寂
- 「心」。尽十方界真実。全てのものが自然している絶対事実。能礼所礼性空寂(性空寂において拝む拝まれるが成立)
- 浄堅固身
- 宇宙全体が永遠に変わることの無い絶対の仏身(尽十方界真実)。
- 相見
- 本来の姿に戻る。
- 荘厳
- 厳密に修行する(やりがい・完成・反応があってはならない)。
- 小参
- 禅院で、住持が上堂して垂示提唱することを大参といい、不時の説法を小参と言う。
- 上参
- 上堂の時、衆僧が参集して聴聞すること。上堂参集の意。
- 声色
- 感覚。
- 生死去来
- 人生。自我生活。仏。尽十方界の実態。四大因縁和合離散。
- 将錯就錯(ショウシャクジュシャク)
- 錯(アヤマリ)の上塗り。恐縮(どう致しまして)。謙遜。自己満足放棄の努力。仏道における真実の受け取り方の基本姿勢。
- 常寂光土
- 真実の世界。尽十方界。只管打坐。
- 正受
- 三昧。「諸受を受けず。是正受と名づく。」(感覚を相手にしない)
- 趙州の茶
- 仏法を示すこと。平常心是道の修行。喫茶去(茶を飲んで行け)。
- 清浄
- 無所得。不染汚。自我の超越。
- 小乗
- 自己満足(理想)追求。「声聞の持戒は菩薩の破戒」(『大宝積経』)。
- 嬢生袈裟
- 生命本来の姿。
- 情生智隔
- 情(自我活動)が生じると智(真実の働き)を失う。黄檗の語。
- 証上の修
- 尽十方界真実の中で真実を実践。身体(生命活動)に忠実な修行。
- 精進
- 真実(道)そのものの活動。
- 精進波羅蜜
- 精進そのものが「波羅蜜」即ち成仏。
- 漿水銭
- 生きてる実態。生活。*草鞋銭(旅費・修行・行脚)
- 性相本末等
- 本質と現象(学問、論理)。
- 聖胎
- 仏、尽十方界真実人体。
- 生知
- 尽十方界(全機の生)の働き(大悟)。本来成仏。本来の自己。
- 正嫡の児孫
- 尽十方界真実。本来の姿。尽十方界真実人体。
- 勝躅(チョク)
- 勝れた跡形・行履。
- 正伝
- 生命の本来の在り方を努力。本来の在り方に戻る。自分自身に具わっている事。全部頂く。単伝。
- 浄土
- 仏国土。尽十方界真実人体。身体の本来の姿。修行が行われる処。
- 成道
- 完全に真実している。尽十方界真実。本来の姿。成仏。
- 上堂
- 住持が法堂の須弥壇で説法すること。正式の説法。陞座(シンゾ)。大参。
- 正當恁麼時
- 本当のことは(時=こと)。結局のところ。
- 牆壁瓦礫
- 平常底。現成公案。全て心(真実)の姿。一切法。がらくた。
- 正偏
- 個別(偏)と真実(正)。全てのものは正偏の組み合わせに因る。
- 正法
- 諸法実相。あらゆるものは尽十方界真実である。自我意識発現以前の身体本来の姿。我々が現実に生かされて生きている事実。尽十方界真実人体。
*仏法中世法なし、仏事門中不捨一法(仏法から云えば、正法(尽十方界真実)でないものはない)。- 正法眼蔵
- 正法眼蔵涅槃妙心の略。尽十方界真実。
- 正法輪
- 身体全体の行。坐禅。
- 生滅無所従来
- 平常底。
- 抄物
- 註釈書。
- 常楽我浄
- 涅槃。永遠に変わらない事実。尽十方界真実。
小乗仏教においては否定されるべき四種の見解(四顛倒)とされた。即ち無常を常と見、苦であるのを楽と考え、無我であるのに有我と考え、不浄を清浄と見なすこと。然し大乗仏教では、『涅槃経』や『勝鬘経』が如来常住、涅槃は最高の楽(本来の姿)である事を説き、四不顛倒(無常・苦・無我・不浄)を更に超えるものとして、常楽我浄を究極のものと見なした。- 諸法実相
- ありとあらゆるものは宇宙・大自然の真実の姿。証。現成公案。
- 尸羅(シラ)
- 戒。
- 事理
- 諸法実相。
- 思量
- 生活現象。頭の働き。努力。
- 觜盧都(シロト)
- ざくろ。坐禅。
- 信(深信)
- 絶対信。人間生存の本来の在り方。信ずるとも何とも思わない姿。身体の実態。生命活動そのもの。
- 心
- 宇宙・大自然の活動。尽十方界真実。「性」。
- 神
- 絶対。
- 塵
- 感覚の対象。
- 心意識
- 分別・判断・認識作用。
原始経典・部派仏教は心・意・識は同じもの。
唯識・瑜伽行派は、識は眼耳鼻舌身意の六識、意は第七末那識(自我意識)、心は第八阿頼耶識(潜在意識)を意味。- 心印
- 坐禅。真実の証。何ともないもの。平常底。
- 尽有
- 悉有。ありとあらゆるもの。
- 新旧・去来
- 人生上の問題(大自然にはない)。
- 心境
- 主体と客体。主客。心境如如。
- 身口意
- 身体全体。
- 身後
- 死後。
- 身識
- 身体の在り方。
- 人事
- 叢林(修行道場)における人間関係。礼儀・挨拶。
- 尽十方界
- 宇宙・大自然。無量無辺。
- 尽十方界真実
- 宇宙・大自然の活動・在り方。絶対事実。仏法。
- 尽十方界真実人体
- 自我を超越した人間の身体。大自然に生かされている人間の身体。
- 身心一如
- 心(宇宙の生命活動)が身(身体。形態)している事実。
- 深信因果
- 深信は因果なり。大自然に全部お任せする事。
- 人生
- 喜怒哀楽(自我意識)に振り回される人間性または人間生活。
- 親切
- 尽十方界の真実。無常の自己と一つ。真実に親密。対象無し。
- 塵刹
- 無量無辺。無数の国々。
- 身先
- 尽十方界真実人体。
- 神通(ジンズウ)
- 尽十方界真実。生命の働き。
- 陞座(シンゾ)
- 上堂。
- 親曽見
- 本来の姿。昔からの姿。
- 神足
- 修行。
- 尽大地
- 尽十方界。大自然。
- 真諦・世諦
- 真諦即ち仏法の真実は世諦(俗諦)に相対しない。
世諦は真諦の一表情であり絶対事実である。世諦は本来の在り方(尽十方界真実)ではなく、常にエゴイズム(染汚)である。- 塵中
- 世間。自我の対象の世界。
- 心頭
- 意識活動。
- 真如
- 生命活動そのもの。尽十方界真実(人体)。
- 進歩退歩
- 変化。
- 心鳴
- 生命活動。空鳴=真実の絶対性(鳴に、鳴と不鳴の在り方)。
- 尽力現成
- 尽十方界真実。
- 心量
- 生きている事実。
- 塵労中人
- 俗人。
- 水コ牛
- 自我を超えた尽十方界真実の修行態度。
- 垂示
- 大衆に住持が示す語話。語録の本則を提示する前冒頭の一章(釣語・索語)。
- 垂手
- 指導。衆生無辺誓願度。利他行。
- 随他去
- 大自然に随う。エゴイズムを捨てる。
- 随流去
- 現実をそっくりそのまま頂く。
- 図作仏
- 坐禅。仏の形(姿勢)を努力。成仏。(図=描く:作仏を描く)。
- 頭上安頭
- 自分の立場を持ち込む(差別)。(或いは)全て真実。
- 頭正(シン)尾正(シン)
- 全体。徹頭徹尾。
- 頭陀行
- 衣食住に少欲知足を行ずる修行。托鉢。
- 是
- (上の言葉を)主語とする意。
- 青山常運歩
- 青山即ち尽十方界が常に活動している事実。仏向上事。
- 制止
- 結戒。戒。只管打坐。尽十方界真実。エゴイズムの放棄。
- 世界起
- 尽十方界の生命活動。
- 赤心
- 真実丸出し。概念でない事実(現実)。自然のまま。解脱の姿。
- 石女夜生児(ヤショウニ)
- 石は石自身の生滅活動(修行)を続けている。尽十方界の休み無い活動の事実。真実は感覚や分別を超えている。露柱懐胎。
あらゆるものは生き続けている。石女=坐禅人。夜=真実、無量無辺。- 世間・世界
- 遷流(センル)(変化)。日常生活。俗世間。 *出世間。
- 是誰(ゼスイ)起滅
- 起滅不停。生命活動。全てのものの実態。
- 説
- 表現。
- 絶学
- 本来の姿。尽十方界真実。脱落。無所得・無所悟。無学。不求。
- 切忌(セッキ)すらく
- 心から忌み嫌う事。
- 接渠
- 善知識(指導者)に巡り逢う。
- 質礙(ゼツゲ)
- 個人の枠に閉じこもる。認識の衝立(向こうにものを見る)。
- 摂心
- 生命本来の姿・在り方ないしその修行。本来の姿を守る。
- 説心説性
- 尽十方界真実している。生きている。心=性。 尽十方界真実表現。
- 刹那生滅
- 時々刻々変化・生滅している実態。仏向上事。全てのものの在り方。壮士(壮年男子)の一弾指の間に六十五刹那有り。五蘊生滅。
- 説法
- 真実の表現。真実の実践。
- 禅
- 尽十方界真実。大自然の生命活動。三昧。静慮。禅那。仏法。
- 禅戒一如
- 禅も戒も尽十方界真実で同じ実態。
- 洗浣
- 自我生活の転換を図る修行。
- 全機
- 尽十方界真実。大自然の働き。尽十方界の様相。機=働き。現象。
- 前後三三
- 前三三後三三。真実の実態は決まりなし(凡聖同居・龍蛇混雑)。叢林。沢山。
- 洗浄
- 不染汚(自我超越)の修行。本来身心も世界も不染汚。染汚しないよう努力。
- 仙陀婆
- 解脱行。現実を素直に頂く。現実に順応して生きる。仏道。
- 善知識
- 指導者。仏祖。尽十方界真実。同行・教授・外護の各善知識有。
- 旋転飯食
- 順次食事当番に当たって食をとる。
- 染汚(ゼンナ)
- 自我意識。自己満足の追求。分別・判断。
- 染衣(ゼンネ)
- 出家。
- 千万億土
- 宇宙全体のこと。尽十方界。
- 洗面
- 本来成仏・尽十方界真実の修行。部分ではなく全体を修行。仏行。
- 祖(祖師)
- 仏法を伝えた高僧。仏祖。尽十方界真実。
- 僧(僧伽)
- 和合衆。
- 相
- 形。姿。
- 草鞋(アイ)銭
- 修行。旅費。
- 造次顛沛(テンパイ)
- 極僅かの動作をする時間。日常生活のあれこれ。一寸したこと。
- 蔵身
- 尽十方界真実人体。本来の在り方。
- 喪身失命
- 只管打坐。個人的自我が消え尽十方界真実人体そのものになる。
- 澡雪
- 行持の努力。
- 僧那
- 誓い。
- 叢林
- 真実世界。あらゆるものが一緒に存在している。勝手に存在しているもの無し。全部真実。自我は通用しない。修行道場。寺院。玉石混交。
- 即
- 現成公案。清浄。自分の欲望をもち込まない。そのもの。当体。
- 触処
- 感覚する処。何処でも。
- 祖師西来意
- 仏法の大意(全体)。尽十方界真実。達磨が中国へ来た意味。
- 卒塔婆
- 仏道の現成する処。法界を以って塔婆と成す(『舎利礼文』)。
- 作麼生(ソモサン)
- 如何なるものも(全てのものの真の在り方)。問所は答所の如し。
常用仏法要語(タ〜ノ)