解説『普勧坐禅儀』

尾崎正覚
妙壽寺仏法参究会刊

A5版・91頁
定価500円(税込)


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まえがき

    一般に各寺の坐禅会で、道元禅師撰述の『普勧坐禅儀』を読誦する機会が多いと思われる。精勤な参禅者は、毎回読誦する『普勧坐禅儀』の、難解ではあるが流暢な四六文のリズムに、漠然とした意味は感じとっておられると思われるが、果たして正確な理解を得ておられるかと言えば疑問である。


    私は、大阪妙壽寺の坐禅会でお世話になって四半世紀以上坐禅してきたが、これまで参禅者から、『普勧坐禅儀』の解説本の存在について尋ねられたことは皆無である。読誦用経典としての『普勧坐禅儀』の意味など知らなくてもよいと考えられているのか、訊くのが恥ずかしいからなのか、或いは既に解説本を読まれているのかは分からないが、私は不思議に思っている。


    尤も、書店でも『普勧坐禅儀』の解説書は殆ど見かけることがない。既刊の書で私が知っているものは、『宗教としての道元禅(普勧坐禅儀意解)』(内山興正著・柏樹社)及び『新普勧坐禅儀講話』(小倉玄照著・誠信書房)の二著だけである。


    しかもこの二著については、私自身以前から不満がある。何故なら、凡そ「坐禅」について語る場合、その前提として大自然と人間のカラダの関係を説明する必要がある。


    ところが、前者については私が尊敬する内山興正老師の著作に係るものではあるが、その説明に若干物足りなさを感じるし、後者については同じ物足りなさのみならず各所に不注意な誤りも散見されるからである。


    つまり、人間のカラダ(生命)の在り方・働きについて、前者は「生命の実物」、後者は「自然の摂理」という語をキーワードにして説明されているのであるが、前者の「生命の実物」では、私たちのカラダが「宇宙・大自然(尽十方界真実)」に生かされているという事実が希薄になり、後者の「自然の摂理(万象を支配している理法 *註は筆者)」では、逆に私たちの生身のカラダ(生命)の在り方・働きの事実が希薄になる嫌いがあり、いずれも、大自然と人間のカラダの事実関係全体を正確に表現し得ていない不充分さを感じているからである。


    私は常々、『普勧坐禅儀』の解説は、本来「只管打坐」の坐禅の視点から説かれた道元禅師の『正法眼蔵』における最も重要な言葉、即ち「尽十方界(宇宙・大自然)の真実」や「尽十方界真実人体(宇宙・大自然に生かされて生きている身体の本来の在り方)」という語で説明するのが最も相応しいと、考えており、このたび浅学非才の身を省みず、おこがましくも『普勧坐禅儀』の解説を試みてみた。果たして成功したか否かは大方のご批判を待つものであるが、可能な限り原文の意味を忠実に解説した積りである。


    尤も故酒井得元老師が、『正法眼蔵』の完全な現代語訳はナンセンスであると常々仰言っていたのと同様、『普勧坐禅儀』の完全な現代語訳もまた殆ど不可能であることを、予めご承知おき願いたい。


    なお、前掲二著とは別に、故酒井得元老師の駒沢大学日曜参禅会(昭和47年)の提唱録のコピーが存在することを念のため申し添えておきます。


 2008年1月
                              
 小子 宏巌正覚 九拝


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『普勧坐禅儀』(流布本―訓み下し文)

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