6、坐禅 (その2)
(3)禅の偏向(看話禅)
(3)禅の偏向(看話禅)
以上、坐禅について詳しく述べてきたが、ここで誤った坐禅即ち禅の偏向の問題について述べておかなければならない。
元々中国禅宗には大きく二つの系統がある。即ち六祖の弟子である青原行思と南嶽懐譲の二つの系統である。前者は石頭希遷―薬山惟儼―曹洞宗の祖洞山良价(807〜869年)から天童如浄、そして日本曹洞宗の祖永平道元に至る禅の流れと、後者は馬祖道一―臨済宗の祖臨済義玄―楊岐派の圜悟克勤―大慧宗杲、そして日本臨済宗の白隠慧鶴(1685〜1768年)に至る流れとである。
ところで中国では、南宋時代「興禅護国」の国家主義仏教が支配的になり、「官寺」の制を新たに等級化し、国家の祈祷道場の役割を果たす「五山十刹」の制度化が行われた。
また宋初時代以後『伝燈録』、『宋高僧伝』等古典の編纂が盛んに行われ、これによって、士大夫(知識階級)層の参禅増加に対応する公案研究の組織的方法が確立された。しかも公案研究の組織的方法を確立せしめたのが、南宋の上層官僚と密接な繋がりを持っていた大慧宗杲(1089〜1163年)で、所謂「公案禅」或いは「看話禅」と言われる禅を大成した。
その特徴は、座禅中に「大疑」、即ち「趙(ジョウ)州狗(ク)子」の公案の所謂「無」字を取り上げて、全身全霊で「無」の考えに熱中し、彼の所謂「大悟」即ち特殊な心理状態を求めてそれに陶酔する。言わばインド以来の瞑想技術である精神集中の一種であり、自己満足追求の「自調の行」であって、正に「禅の偏向」と言うべきものである。日本の白隠等もまさにこの系統の禅である。
なお大慧は、曹洞宗の宏智(ワンシ)正覚(1091〜1157年)の「只管打坐」の坐禅を「主体的な大疑の欠如である」と批判し「黙照邪禅」と呼んだが、宏智は却って『黙照の銘』を著わし、大慧を相手にしなかった。
因みに宏智正覚撰述の『坐禅箴』の中に、仏祖が仏を行ずる坐禅の実態を述べた「不触事而知、不対縁而照」(事に触れずして知り、縁に対せずして照らす)という言葉がある。つまり「不蝕事」も「不対縁」も共に「知覚分別に基づかない」尽十方界の真実の在り方を示している。「知」も「照」も対象を判断して解るという自我意識の次元、即ち知覚・分別の次元ではなく、能所(主客)を超えた身体自身の本来の在り方である。つまり「知」も「照」も尽十方界真実人体としての知・照であり、尽十方界の生命活動である。いずれも「尽十方界(真実人体)の或る時の様相」である。
(4)黙照禅と看話禅の相違
そこで、以下に「黙照禅」(道元禅)と「看話禅」(禅の偏向)の相違を述べてみよう。
第一に、黙照禅は、「無為法」即ち生活(自我意識発現)以前の姿勢であり、「有為法」即ち自我に基づく一般的な生活現象は無為法を母胎とする。看話禅は、有為法そのものであり、自己満足追求の欲望による行為である。
第二に、黙照禅は、仏祖(菩薩)の坐禅(精進波羅蜜)であるが、看話禅は、小乗(声聞・縁覚)の自己満足追求、自己陶酔の自調の行であり独善である。
第三に、黙照禅は、無相(大自然の在り方)即ち自我意識以前の尽十方界真実であり、大乗の行である。看話禅は、有相即ち作為されたもの、因縁所生の現実の存在であり、意識の対象即ち能縁所縁(主体客体)関係である。
第四に、黙照禅は、無所得・無所悟即ち自我意識の放棄乃至分別・感覚の一切棚上げであり、尽十方界真実そのものを具現する。看話禅は、有目的的であり、理想像即ち欲望を追求する。自調の成果に自己満足し、予め想念していた自己に陶酔(自己限定)する。
第五に、黙照禅は、本来の三昧であり、技術の発生する契機はない。それを表現する六祖の言葉は「慧能技倆なし、百思想を断ぜず、境に対して心数々起こる、菩提作麼か長ぜん。」(私には念を押さえるような技術はない。生命現象である正念を選り好みせず全部頂く。菩提(真実)は理解出来るものではなく、現実を只頂くだけ。)看話禅は、生活経験内の行法であり、技術的で分別的である。それを表現する臥輪禅師の言葉は「臥輪伎倆あり、能く百思想を断ず、境に対して心起こらず、菩提日日に長ず。」(私は煩悩を断ずる力量がある。従ってアタマに念が浮かばない。悟りはどんどん深まっていく。)
第六に、黙照禅は、「修証一如」即ち修行そのものが成仏(尽十方界真実)であり、「一超直入如来地」である。看話禅は、「十牛図」のような概念的な修行の階級が存在する。目標を持って修行する。
第七に、黙照禅は、上記第六の通り、「初心の弁道すなわち本証の全体なり」(『正法眼蔵』「弁道話」)、即ち初心者であっても坐禅すれば尽十方界真実の実践である。看話禅は、「動中の工夫は静中の工夫にまさること百千倍」(大慧宗杲)、静中の工夫即ち座禅は 公案工夫のための手段に過ぎない。
第八に、黙照禅は、正身端坐を先とした調息致心(『永平広録』巻五)であり、これを「帰家穏坐(キカオンザ)」と言う。即ち呼吸は本来付与されている自然の自分では如何ともなし得ないベースに任せる。看話禅は、「数息観」(息を数える)を採用するが、これは自調の行であり、放逸致心のべ−スを自分で調整する。即ち澄すべき「こころを所有」すると考える。また「興奮」は熱烈な求道(禅機)の姿であり、何時如何なるところでも煩悩に勇猛に抵抗できる気力である。
第九に、黙照禅は、只管打坐(三昧王三昧)であり、身心脱落、寂静(大自然の真実の様相)、無為(人為的なもの無し)であり、行持綿密(不染汚)即ちその時のからだの調子に任せきりである。看話禅は、「見性」即ち真実を求めて熱中し公案を思念工夫する座禅であり、その興奮の終着駅は真実を手に入れたと思う錯覚である。白隠禅(『遠羅天釜』、『夜船閑話』)には思念するものとされるもの(能所)がある。
第十に、黙照禅は、宇宙全体が真実(尽十方界真実)であり、これこそは真実というような根本原理は無い。従って永久に疑団の解決は無い。仏道は自己満足の追求を放棄することであり、無所得・無所悟の「不染汚」の坐禅を修行することである。看話禅は、「教外別伝」で、これこそ真実というような原理的なものを追求し、自らでっち上げた疑団の解決のため、「悟りを手に入れる」即ち自己満足の追求に終始する。つまり「習禅」即ち特殊な心境になる目的を以て修練する座禅であり、所謂「染汚」の座禅である。
因みに坐禅の坐の字の使用が、黙照禅は、上述(1)坐禅に関する典拠の六祖の言葉に明らかなように「坐」であるが、看話禅は、単に坐る場所、居所を表す「座」を用いて「座禅」としている。
なお曹洞宗でも坐禅中に「警策(キョウサク)」を用いているが、これは臨済宗(看話禅)で眠らない為の工夫として用いていたものであり、江戸末期に曹洞宗でも使用するようになったもので、本来人為的なものを全て排除する坐禅の在り方からすれば、正しいとは言えない。
以上、黙照禅と看話禅の相違を述べたが、特別な人しか悟れないような看話禅は、真の普遍的な宗教とは言えない。黙照禅のように、誰でも只管打坐すれば尽十方界真実を実践出来ると同時に、それが成仏であるという尽十方界真実人体と坐禅の信仰こそ真の宗教に値するものである。
最後に、『正法眼蔵』「生死」巻の「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる。たれの人かこころにとどこほるべき」という言葉は、正に只管打坐の坐禅を表現した言葉である。
つまり、身心(身体)を正身端坐である「仏のいへ」の坐相に任せきると、「仏のかたよりおこなわれて」即ち身体本来の大自然の生命が活動する。この姿勢を続けていると、自然に「生死」即ち自我意識が支配する「人生(人間生活)」は棚上げされて、仏(尽十方界真実)が実現している。誰でも行き詰まりが無いのでる。
また『正法眼蔵』「現成公案」巻に「法もし身心に充足すれば、ひとかたは、たらずとおぼゆるなり」とあるように、坐禅は人間に満足感を与えるものでは絶対に無い。我々が生きているということは、「生かされてただ生きている」(無所得・無所悟)だけである。
要するに、自我意識の「我」は、平常自己満足追求に忙しくて自らのからだの事を思い遣る事がない。しかしからだの有り難さが本当に分かれば、我が人生を送らせてもらっているからだに対し、人生(自我意識)を棚上げすることによって、からだに本来のすがたをお返しするのが報恩行としての坐禅である。
(5)「戒」「発菩提心」と坐禅
なお、「戒」について付言すると、達磨の言葉に「戒とは仏心(尽十方界真実)なり」とある通り、戒とは尽十方界真実であり、決して通常一般的に理解されている単なる人間の意志意欲段階における禁止事項などではない。また『梵網経略抄』(経豪著)が「戒は制止なり、…制止と云は、…釈迦牟尼仏…坐し給て、無上正覚なり。…我与大地有情同時成道と制止する。…」と述べるように、「戒」とは「制止」であり、制止とはエゴイズムの放棄、即ち尽十方界真実の実修実証、只管打坐の坐禅である。つまり坐禅は持戒である。
更に、「発菩提心(発心)」(菩提心を発す)とは、何か特別な「こころを発す」こと、何か特別の精神状態になることを欲することではなく、逆に自我意識を放棄(「発」)して尽十方界真実(菩提心)をそっくりそのまま素直に頂くこと、つまり無所得・無所悟の坐禅を行じることである。